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詩と詩想10月号   


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詩と詩想10月号に、三浦志郎さんが「はんな詩想」を書いてくださいました。三浦さんは私がネット投稿していた時に毎回評をくださっていた方です(ネットの詩投稿掲示板MY DEAR)。私の第一詩集 『あ、』 の作品にさまざまな考察を与え、詩論を試みてくださいました。私一人で書いていた時には考えてもみなかった方向へ作品を引っ張って行ってくださり、詩集全体をさまざまな色の織り糸で織られた織物のように仕立ててくださいました。三浦さんという第三者の目を通して見ると、まったく違う世界が広がって、読者にはこんな印象を与えているのだと改めて思いました。これはかなり新鮮な発見であり、驚きです。

最初土曜美術社出版販売からはんな詩論を書きましょうというお話をいただいた時、詩人としてはまだ駆け出しの若輩者の私に詩論はかなり早いのではないかと思いました。なぜなら、私の詩は本当の意味で私自身の作風が出来上がっていないし、これからも変化し続けると思うからです。でも、そんな心配は、三浦さんの詩論を読んで、無用だったと思いました。

詩人が詩人として成長していくためには詩を書くことはもちろんですが、第三者に詩論を書いてもらうことによって、一人で作品を書くのとは違う次元に導き入れられます。詩論は詩人に作品を見る第三者の目が詩人自身の思惑や意図とはまったく異なることを発見させ、詩に厚みや深みを与えます。詩を書いているだけでは一方向にしか成長しませんが、第三者の詩論はあらゆる方向に詩人を引っ張って行き、それが詩人に大きな成長を促すものであると思います。

三浦さんの詩論は二段組みで6頁にわたって掲載されています(400字詰め原稿用紙10枚分)。ありがたく、嬉しく、これからも書き続けていこうと、新しい気持ちで思っています。

また、巻頭に「プリズム」という同人誌の会が紹介されており、数名の知人の方たちの写真が掲載されています。こちらも嬉しいなあと思っています。詩と詩想10月号、よろしければご覧ください。
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by hannah5 | 2013-09-30 15:32 | 投稿・同人誌など | Comments(0)

日本の詩を読む IX その8   


9月9日(月)は「日本の詩を読むIX」の8回目の講義でした。今回の講義は、つい先日出版された野村さんの詩集『芭(塔(把(波』(左右社)を読みながら始められました。これは8月28日に予定されていた講義が野村さんのご病気でキャンセルされたため、詩集はその埋め合わせとして野村さんが私たち受講生全員にくださったものです。内容は金子光晴の足跡を辿ってマレーシアへ旅行された時の詩です。作品には一切タイトルがなく、マレーシア旅行のことを詩にした言わば紀行詩のようなものだとおっしゃっていました。

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そして、今回読んだ作品は、蜂飼耳さんの詩集「染色体」と「食うものは食われる夜」、文月悠光さんの「適切な世界の適切ならざる私」でした。二人は言わば「ゼロ年代の詩人」と言ばれ、言葉遣いや形式など、これまで書かれてきた詩とはかなり違う詩を書く若手の詩人たちです。ゼロ年代の詩人について知らなかった受講生も多く、二人の作品はかなり新鮮なインパクトを与えたようです。


染色体

    蜂飼耳


草木密生
五穀成熟

おとこはすべておんなから出てくるのに
おんなを踏みつけるおとこがいて
(彼は おとこをあいするおとこ だったが)
ある日 はなやかな喧嘩になった
いっぱつかましてやんなきゃわかんないんだよ
このあま

と叫び 彼はほとんどすべてのおんなを
がっかりさせた
子宮感覚、などというものは幻想に
過ぎない としても わたしたちは
おんななので 配管のようすなども
 気に掛かる
  してみると

おんなははたと気が付きしっぽのように
からだを切り離しからだを棄てて
おとこが喰べるのを見届ける

   その間 まだ咲かぬ米の花のことや
  新発売の入浴剤の安売りが
 どこのドラッグストアだったか
など 考えたり

XでありYである わたしたちの
その先に何が あるのか あるべき なのか
闘いの果てのハンモック
おとこが寝静まると おんなたちは
秘密の唄を皮膚の下から無事飛び立たせる
  交わらない線を拒んで
 わたしたちのための数式をひらいていく
そこにいつも

草木密生
五穀成熟




適切な世界の適切ならざる私

     文月悠光


突き立てられたコンパスの針をすり抜けようと、ページの端から/楓の葉が見え隠れしている。風につねられた葉先は丸みを帯び、葉脈をたどろうとしたとたん、黒い活字に埋もれていく。揺れ動くページの輪郭が角をすり減らし、描かれた球体を茹でこぼした。卵のよろいがてらりと光り、教科書は湯気の立ちのぼりに引き裂かれていく。

とたんに全てが不適切。

職員室で落とされたコーヒーの一滴は
インスタントの宿命を抱き寄せ、血色を晴らす。
こっそりと流し込んだ砂糖の袋を
女は引き出しの中に入れておく。
ゴミはくずかごへ、
そのように女の良心は痛みを抱えている。
結えられたものが
引き出しの中で静かに
においこぼれている。
それは砂糖とも違う、
緩和された結び目となる。
ダイエットをしない先生も、
氷室の中では確かに妖女だ。

幼女が妖女になるとき。月の手にひかれて波はひしげる。点々と落とされた経血の紅から、それはアンタレスのあでやかさ。狩人オリオンの手から弓を奪った巨大サソリはいま、両腕を広げ、排卵している。天の川に隠された毒尾は月齢を知らないけれども、髪を結った少女の目に潮を吹きつけていく。

庭石の歪みが
はにかんだ蕾を立たせていたのに、
家に入ると、一階から二階のふくらはぎにかけて
花びらがまかれている。
バケツの縁から、花はいま
おだやかな
死に顔を咲かす。

ブレザーもスカートも私にとっては不適切。姿見に投げ込まれたまとまりが、組み立ての肩肘を緩め、ほつれていく。配られた目を覗きこめば、どれも相違している。そこで初めて、一つ一つの衣を脱ぎ、メリヤスをときほぐしていく。それは、適切な世界の適切ならざる私の適切かつ必然的行動。

幼女である私の骨をひとかけら噛み砕けば、
キン、とするほど冷たい。
それは、幼女が妖女へ誘い込まれている証。凍てた爪先で氷盤に躍り出る夢が、ある夜半まぶたの裏に火をつける。氷室の火にくべられた骨々から、妖女が仄めく。身体の内から突かれるような痛みに、私は袂を振った。とたんにそで口から転がり落ちる骨のつらら。つややかに身をほどき、それは土に染み透っていく。
懐のドロップ缶がカタカタと震えだす。
骨が笑う。
私は氷室への旅路を急いだ。
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by hannah5 | 2013-09-15 16:01 | 詩のイベント | Comments(0)

私の好きな詩・言葉(155) 「Help!」 (池井 昌樹)   


Help!


性と詩に目覚めた中学生の頃、私はしかし胎内回帰願望も人一倍旺盛な少年だった。時代は昭和の真っ只中。地元商店街は活気に溢れ、パン屋も本屋も玩具屋も明るく綺麗な興奮(ときめき)に充ちていた。夏の夜には網戸を入れた南の窓から一斉に蛙声が起き、北の窓からは遠い潮の香が紛れ込んだ。大輪の打上げ花火も眺められた。ある夜その北の窓から空き地を隔てた隣家の瓦屋根に不審な人影が見えた。貧しげな屋内の明かりを背に人影はやおら何かを大音響で掻き鳴らすや訳のわからぬ何かを大音声で歌い始めた。歌といってもそれは異様に耳障りな騒音でしかなかった。何事かしらん。遠近の窓が次々に開いた。腰を折り背を反らし歌い続ける人影はスポットライトを浴びた悪鬼宛(さなが)らだった。しずかにしてッ。大学受験を控えた姉が堪り兼ねて叫んだ。うるさいぞッ。高校受験を控えた弟(私のことだ)も変声期前のボーソプラノで叫んでは隠れた。やがて明かりの中から別の人影が現れ、父親だったのだろう、有頂天な手を取りしきりに屋内へ連れ戻そうとする様子が見えた。半世紀近く昔のその夜を私は今も昨夜のことのようにありありと思い出す。あれから姉は第一志望の国立大学へ進学し、弟はクラスで唯一公立高校の受験に落第した。そして屋根の上の主役が地元で働き出したことを風の便りに聞いた。彼も今頃かつての自分のようなわが子に手を焼きながら達者でおられることだろう。あの夜彼が大音声で歌っていたのは当時売り出し中のビートルズだったことも後で知ったが、その楽曲は忽ち世界中の若者の心を捉え、その名は今や伝説となった。ビートルズの登場はかつての若者たちの心に巨きな蘇生を齎らしたのだ。屋根の上の主役の心にも。私は私の不明を恥じながら、しかし、あの歌声の陰で消えていった様々なもの――風鈴の音や七夕飾りや一斉に起つ蛙声や潮の香、パン屋や本屋や玩具屋や、その明るく綺麗な興奮(ときめき)を何時までも、何時までも忘れられないでいる。胎内回帰願望だろうか、それとも昭和の遺物だろうか。誰から何と言われようと、甍の波の何処かしら、金銀砂子を唱えながら、夜になってもまだ帰らない、少年の手を引きにくるもう誰もなく。

(池井昌樹詩集 『明星』 より)

ひと言
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by hannah5 | 2013-09-11 01:42 | 私の好きな詩・言葉 | Comments(0)

日本の詩を読む IX その7   


9月2日(月)は「日本の詩を読むIX」の7回目の講義でした。今回は最近野村さんが読まれた萩原朔太郎の『宿命』についての講義が少しと、受講者からの希望で、荒川洋治の作品を読みました。

『宿命』は萩原朔太郎の自選アンソロジーで、2部構成になっており、1部に散文詩、2部に抒情詩が収められています。朔太郎は晩年になるにつれ、ほとんど詩を書かなくなり、代わりに散文詩を試みていたようです。

荒川洋治の作品は実は読んだことがなく、この講座で取り上げた作品が初めて読んだ作品です。代表詩集『水駅』は伝統的な詩人たちからは不評だったということですが、当講座の受講生たちからもあまり良い評価はありませんでした。しかし、作品にはどこか女性的な感じがつきまといます。聞けば、詩を書く時は男性的な部分が消えて女性的な感覚になるのだとか。わかりにくいとされている荒川洋治の詩は、もしかしたら男性詩人たちの手の届きにくい領域で編まれたからかもしれません。


水駅


妻はしきりに河の名をきいた。肌のぬくみを引きわけて、わたしたちはすすむ。

みずはながれる、さみしい武勲にねむる岸を著(つ)けて。これきりの眼の数でこの瑞の国を過ぎるのはつらい。

ときにひかりの離宮をぬき、清明なシラブルを吐いて、なおふるえる向きに。だがこの水のような移りは決して、いきるものにしみわたることなく、また即ぐにはそれを河とは呼ばぬものだと。

妻には告げて。稚(わか)い大陸を、半蔵のみどりを。息はそのさきざきを知行の風にはらわれて、あおくゆれるのはむねのしろい水だ。

国境、この美しいことばにみとれて、いつも双つの国はうまれた。二色の果皮をむきつづけ、錆びる水にむきつづけ、わたしたちはどこまでも復員する。やわらかな肱を輓(ひ)いて。

青野季吉は一九五八年五月、このモルダビアの水の駅を発った。その朝も彼は詩人ではなかった。沈むこの邦国を背に、思わず彼を紀念したものは、茜色の寒さではなく、草色の窓のふかみから少女が垂らした絵塑の、きりつけるように直ぐな気性でもなかった。ただあの強き水の眼から、ひといきにはえしく視界を隠すため、官能のようなものにあさく立ち暗んだ、清貧な二、三の日付であったと。

水を行く妻には告げて。
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by hannah5 | 2013-09-06 01:12 | 詩のイベント | Comments(2)