「日本の詩を読む/世界の詩を読む」第3期-「日本現代詩アンソロジー 1990-2015 を編む試み」第4回   


4
回目の講義は「新鋭たち」と題して、2000年代になって登場した若い詩人たちが取り上げられました(422日)。これまで取り上げられた詩人たちとはまったく異なる言語感覚と表現方法を持つこの新しい詩人たちの作品は、取っつきにくさやわかりにくさはあるものの、教室の参加者たちには好意をもって受け取られました。取り上げられた詩人と作品は岸田将幸の「ゼリー、ゼリー」、中尾太一の「a viaduct」(一部)、三角みづ紀の「私達はきっと幸福なのだろう」、岡本啓の「コンフュージョン・イズ・ネクスト」、暁方ミセイの「呼吸が丘 二〇〇九年五月十四日」、最果タヒの「2013年生まれ」、文月悠光の「適切な世界の適切ならざる私」でした。






呼吸が丘 二〇〇九年五月十四日


       暁方ミセイ



緑色地帯から

発光している

しがつの霊感の、稀薄な呼気だけを肺胞いっぱいに詰めて

そのまま一生沈黙したい

水の気配として震えがおしえる、ごくわずかな青い朝に、

くちびるを押し開く時はもう

わたしは世界よりも大きくふやけあがっていて

飲み込むことで

見ることへと、消えてしまいたい

あらゆる怒声や歓喜や眼差し、腕や足の、赤いものたちが

渾身で打ち寄せる壁には

粉砕されて散り散りになる いっしゅんの呼吸が

繰り返されているだろう、

そしていつも世界が次へと運ぶだろう

朝へと 朝へ


静かになるためには、眼差しを一枚ずつ重ねていった

おもたい青空の、見える一層一層から

そこに薄くのびている空気が動く、光の稜線としてわかる

貫く紅色スペクター

もっとも

空に近い臓器の、血管が、

伸び、広がり、充実していく

赤血球で豊かになる世界に

馬や鹿のうつくしいみどりの眼もあった

あるいは腐葉土の中の虫たちも

それら組織液の中に取り込まれ、ゆっくりと回転させながら、

野をこえ、山をいだき、

血液はどこまでも

そのひとつひとつが眼差しとなって拡散していく

眠気で目覚めはじめる色彩のような

身体のいちばん奥にある

やわらかな結合を一本ずつ

ほどいていくと

おもたい細胞のひとつひとつが水気を思い返し

いまやどこまでもひとつずつとなって

風景を再び

構成するだろう







コンフュージョン・イズ・ネクスト


       岡本啓



肩のあまったシャツ

もたれかけた指をはなすと

頬にニュースのかたい光があたった

あっおれだ、いま

映った、いちばん手前だ ほらあいつ、ほら

いま煉瓦を投げつける


きみは興奮しながらスープの豆を口に運ぶ

母親がひたしたスープ

煙がくるなか、担架を 肌のちがう二人が持ちあげて

走りさる


こんなちいさなふやけた芯が 四肢を一日燃やすのか

舌で こうやって

怒りの殻を 剥ぎとってくと

一粒のおののく歌もおれにはない

おれは恥ずかしい、いまも

ショーウィンドーを どうしようもなく

たたき潰したい

こんなこと、あっていいのか

ヨウナシ、においはしない

拳に似た、輪郭ののか なにもない


ちがう

ぼくが言う くだけちったガラス

あらゆるものが萎れるんだ

ほんとうに宇宙は

なにもない

一人の女から産まれて

ここにいる それじたいが 暴動だ







[PR]

# by hannah5 | 2018-05-11 22:54 | 詩のイベント | Comments(0)

「日本の詩を読む/世界の詩を読む」第3期-「日本現代詩アンソロジー 1990-2015 を編む試み」第3回   


3
回目の講義は「ゼロ年代詩へ」と題して、川口晴美、和合亮一、蜂飼耳、杉本真維子、小笠原鳥類が取り上げられました(3/25)。講義に参加している人たちの多くは年代が高いせいもあってかこの詩人たちの作品を読んだことがなく(名前すら知らない人が多かったです)、しかし彼らの作品は斬新な響きをもって受け入れられました。難解だ、わからない、といった意見もありましたが、総じて好意的に受け取られたようです。もっとも人気があったのは杉本真維子さんの作品、そしてわかりにくいだろうと思われた小笠原鳥類さんの作品は案外理解されたり、気に入られたりしました。それぞれの詩人が持つ特異性の背後にあるリアリテイは私たちの日常と密接につながっていることが多く、そこから独自の世界を広げながら発信しているそれぞれの作品は、読み手の私たちに詩を読むことの楽しさを伝えてくれました。読んだ作品は川口晴美の「ファントム・リム」、和合亮一の「世界」、蜂飼耳の「食うものは食われる夜」、杉本真維子の「拍手」、小笠原鳥類の「(私は絵を描いていただけだ。/船遠隔操作の時間差爆弾を仕掛けていたのではない)」、そして野村喜和夫さんの蜂飼耳評、小笠原鳥類評、杉本真維子評でした(敬称略)。





食うものは食われる夜

    蜂飼耳



音たてちゃ いけない 今夜は

もの音たてちゃ いけない

背をあわせ うつろの胴は長くして

横たわる 濡れた眼玉に

すがた映し合い寝たりは しない

背をあわせ 川音高く 聞き耳たてる

しない夜はなにも させもしない夜で

音たてちゃ いけない 今宵は

もの音たてちゃ いけない

燃え落ちる魂つぎつぎとななめに光り

液体の法則にどこまでも抗い 呼んで

鱗 はげ落ち 岩肌 はりつき

川底から伸びあがるもの根こそぎ抜かれ

抜かれたものたち 押し流されて

小石の身震い 影の後追い 鰓呼吸

あかあかと のぼるかれらに

沈黙の判例を 迷わず捧げ

声を忍んで 月に刺されて

くるまれている夜着のうち

  これを聴いたらしんでしまう

  これってなあに

  おおすけ こすけ いまのぼる


忘れはしない のぼってくる

呼吸を合わせ川床すりつつ上ってくる

みずのにおいは鱗の奈落へ染み渡り

内側から叩きのめすそのとき

中心に移ってくるひとつの考え

足を取るあおじろい回遊すべては

今宵のため むすばれてきたと

川瀬に寄せられ 息 できない

しらないひとに のしかかられて

言おうとする下にも 知らないひと

いうことが あるんだけれども

飲みこむしかなく 集めない鰓に

遠ざけられ 殖えていく

満たされたのち 消えていく

積まれる仕草は いつか寝耳に

そそぎこまれたものに 近い

鱗におおわれた音におおわれ

川明かり 余すところなく飲みくだし

河原と 人の家 押し包む


  これ聴いたらしんでしまう

  これって なに

  おおすけ こすけ いま とおる

  音たてちゃ いけない 今夜は

  もの音たてちゃ

  いけない






拍手

杉本真維子



背骨の、したのほうに、小さな、拍手がある

装置でも、偶然の、産物でもなくて

ある朝方、それをみつけて

スイッチを押したようだが、記憶はなかった、

博士の指示にしたがい

朝と夜だけ、多くても一日二回まで

という決まりだけは守った


すると目は空をうつしきれず

大空が目をうつし

ひろびろとした視野、というものが、

「むかし」への取材を放棄する

「いいことばかりじゃなかったです、とてもとても

あなた、かってなことばかり言って

過去、なんて、その程度のものなのですよ」


わたしではない口が

不満気に、でも、きっぱりと、言い放った

まばらな拍手はぐねぐねと体内をめぐり

私語をやめ

硬い岩となって野原でめざめる


あなたのつごう、あなたのはんだん、

あなたの、滲む血のかたちは、


ぜんぶ、その身体に、とじこめてあると

博士は言った

きっと誰にも褒められなくてよい

そのちいさく何よりも華やかな拍手のために、

ひとはふっくらと一人である



.


[PR]

# by hannah5 | 2018-04-11 22:05 | 詩のイベント | Comments(0)

びーぐる38号に「喜和堂」4号が紹介されました   


少し前になりますが、びーぐる38号に詩誌「喜和堂」4号が紹介されました。「詩誌時評」で松本秀文さんが次のように書いてくださっています。


 「最後に、取り上げるのは「喜和堂」
4号である。野村喜和夫さんを中心に編まれたアンソロジー形式の詩誌である。名前を始めて知る書き手とベテランの書き手が同じ土俵の上で作品を提示している点と連詩や企画詩など行動量の多い誌面に終始圧倒される。野村さんはあとがきで「ポエジーとは出口であり入口であるのでしょう。裏の言葉――そんなものあるかどうか知りませんが――を失って精神の深い闇をさまようことになる入口でもあり、またそこから真の言葉――そんなものあるかどうか知りませんが――の方に出てゆく可能性を見出すための出口でもあるのでしょう」と書かれている。

 詩も他の表現分野と同じく、最低限の基礎は必要だろう。だが、「自由詩」はその定義やが概念がおそろしく曖昧であり、そのため基礎をどこに置いていいのか分からない。前回は、それについて「現代詩のジレンマ」という言葉で書いた。今回は、「批評のジレンマ」ということを考えながら送られてきた詩誌と向き合ったように思う。野村さんの「真の言葉(仮)」というものにぶつかることが、詩作品を読む者にとっては最も強烈なインパクトになるのかもしれない。」


手前味噌ですが、詩誌「喜和堂」は優れた書き手が揃っていて参加していて楽しいです。たぶん
Tokyoポエケットか文学フリマに出品されると思いますので、お手に取ってみていただけたらと思います。


b0000924_21564563.jpg
















[PR]

# by hannah5 | 2018-04-08 21:59 | 投稿・同人誌など | Comments(0)

Priceless volume 4   


4
冊目のPriceless を発行しました。
今回のPriceless はいささか個人的なので、あまり多くの方には寄贈しないと思います。



b0000924_20335232.jpg



















発行 
325

定価 300





[PR]

# by hannah5 | 2018-03-29 20:39 | 投稿・同人誌など | Comments(0)

詩の朗読会   


喜和堂の有志による初めての朗読会を行います。

私以外は皆さん朗読の経験者ばかりです。

私はこれで2回目です。

(初めて朗読したのは新井豊美さんの追悼朗読会の時でした。)

お時間のある方、お越しいただければ嬉しいです。



喜・舞・音 ―第0回喜和堂朗読会―

http://pact-kiten.org/archives/628


日程  
2018324日(土)

開場  1830分 開演 19

会場  アートスペース.kiten http://pact-kiten.org/

135-0016江東区東陽4-7-10 東陽町ハイホームA121
入場料  2,000


朗読
|野村喜和夫、森川雅美、渡辺めぐみ、はんな、芦田みのり、山口勲、川津望

演奏|加納伊都、KOYU(コウユウ)

舞踏|武智博美


インスタレーション/照明/演出
|月読彦

企画|川津望

企画協力|山口勲

監修|喜和堂




[PR]

# by hannah5 | 2018-03-10 20:45 | 詩のイベント | Comments(0)

「日本の詩を読む/世界の詩を読む」第3期-「日本現代詩アンソロジー 1990-2015 を編む試み」第2回   


「日本現代詩アンソロジー 
1990-2015を編む試み」第2回は「ポスト戦後詩の展開」と題し、稲川方人、野村喜和夫、小池昌代、城戸朱里、高貝弘也が取り上げられました(2/25)。今回取り上げられた詩人たちは私が現代詩を読み始めた時に出会った詩人たちで(稲川さんを除く)、それは前回取り上げられたベテラン詩人たちや次回のゼロ年代の詩人たち、さらに最終回で講義される新鋭の詩人たち以上に強い影響を受けた詩人たちです。そのためか、今回の講義は一人一人の人となりが思い出されて、楽しく講義を聴くことができました。読んだ作品は『二〇〇〇光年のコノテーション』(稲川方人)から一部、「(そしてぼくはきみを抱いて)」(野村喜和夫)、『街の衣のいちまい下の虹は蛇だ』(野村喜和夫)から一部、「秋の平安」(城戸朱里)、「鳥の聲」「はほう」「穂の間に、」「死なないように」(いずれも高貝弘也)、「Penis from Heaven」(小池昌代)でした。(講師は野村喜和夫さん、詩とダンスのミュージアムにて)




Penis from Heaven


     小池昌代


大きく広げた男の股の中心に

女がおずおずと手を触れる

男は大きくて

頭の髪の毛がはげかかっている

女は分裂症

美しい魂の持ち主で


「どうしてここまで男をさけられた?」

と男に尋ねられるような女である

初夜のベッドで、


(ほら、見てみな)

(さわってみな)


そんなことを

ことばに出さないのに

やさしい男が思っていて

自分の一物と女とを

見比べるところ、よかったなあ

映画のはなしだ

あんな美しい場面はないと思う


あんなやさしい場面はない

ある日

つらいことがあり

気持ちのふさぐ日

なんということはなく

とても自然なうごきで

私のなかに

あのシーンがよみがえってきたことがあった


(ほら、見てみな)

(さわってみな)


そのとき

女の手がのびるかわりに

私のなかから手がのびて

なにかとてもあたたかいものに指が触れた

ほの暗く

どの場所よりも深い、人間の股

その股を

あんなふうに押し広げられる男とは

いったい、どういう人間なのか

映画のなかの

人間の経験は

そのとき

私のなかでよみがえり

おしつぶされた私を

そのまんなかからあたためてくれた


「(自分との)結婚で、(彼女は)なにもかも花開いたと思わないか?」


私のなかからそっと伸びた手

そして

あたたかい陰茎に触れた触感のイメージ

これら、恩寵のようなやさしさは

いったいどこからやってきたのか


たとえば

春、雪の下からふいにあらわれる

ふてぶてしい、黒土のような

たとえば

沸かしたての、あたらしい湯のような

けれど

どんな比喩も届かない

あれこそは

生の芯

そのものだった






(そしてぼくはきみを抱いて)


     野村喜和夫


そしてぼくはきみを抱いて ひと夏が締めくくられた

恵みの夜の郊外から また始まる都市の日常へと

車で帰路を急いでいたら 丘の向こうで

花火の打ち上がるのがみえた


もしきみが助手席にいたら 歓声をあげただろう

ぼくはハンドルをにぎっていたので 愛する大地

愛する大地 そこから届けられる火の花束を

視野の片隅に認めていただけ


でも十分だった 今年の花火の向こうに

去年の花火がみえ そのまた向こうに

おととしの花火がみえていた


のにちがいなく 空の奥で

いくつもの夏の終わりが連なって

夜の喉のようにすぼまり それが永遠




[PR]

# by hannah5 | 2018-03-09 13:28 | 詩のイベント | Comments(0)