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私の好きな詩・言葉(134) 「プロポーズ。」 (りす)   


プロポーズ。


歩道橋が長すぎるので途中で諦めて、壊れた洗濯機の話をする。眼下を灯りのない貨物列車がいつまでも通り過ぎて行く。君は厚い眼鏡をハンカチで拭きながら熱心に相槌を打ってくれる。君の相槌の品揃えは、帝国ホテルのコンシェルジュみたいに完璧だ。僕の言葉は砂漠に降る雨のように、君の相槌に吸収されてしまう。だから僕は君の体内のどこかに、僕の名前を冠した瑞々しいオアシスがあるんじゃないかと常々思っているんだ。それにしても、今日に限ってどうも会話が食い違う。どうやら、僕は二槽式洗濯機について話しているのに、君の頭には全自動洗濯機しか浮かんでいないようなのだ。脱水槽が回転しない、という状況を理解させるのに、貨物列車が五本も通過していった。でもこの程度の食い違いは、君が眉間に皺を寄せて器量を損なうほど、深刻なことではないんだ。マーガリンとバターのように、片方を知らなければ、どっちがどっちでもいいような代物だ。そんな些細な錯誤はこの、長すぎる歩道橋に比べればたいした問題ではない。シェイプアップしたいの、と君が言うから、わざわざ歩道橋なんて前近代的な迂回路を選んだのはいいが、どうにも階段の数が多すぎはしないか。歩道橋の途中に自販機を置けばいいのに、という君の本末転倒な提案にも、そこそこの市場価値はあると思うよ。だけど、最初から踏切を渡れば良かった、なんて愚痴を言うつもりはない。君を見習って、これからは提案型の人生を送ろうと思ってるんだ。君は今、二槽式洗濯機の説明を求めている。説明なんて回りくどいことはやめにして、この際、結婚しようじゃないか。結婚して僕の洗濯機で、君が自分の下着を洗ってみれば、すべては一瞬に了解されるんじゃないか?だからさ、結婚しよう。僕が二槽式洗濯機の柔軟な使い勝手についてくどくど説明すれば、へえ、とか、ふーん、とか、むむむ、とか、君の相槌の訓練にはなるかもしれないが、最近わざわざ全自動洗濯機から二槽式洗濯機に買い換えた、うちの母親の気持ちは一生理解できないだろう。いや別に母親と同居してほしいと言ってるわけじゃないし、安易な文明化に警鐘を鳴らしているわけでもない。ましてや、洗濯と選択の掛詞で恋のボディーブローを狙ってる訳でもない。文明化、大いに結構。スローライフ、断固反対。ところで最近、やけに貨物列車が増えたと思わないか?気のせいなんかじゃなくて、実際に増えてるんだよ。この理由をくどくど説明すると、君のオアシスが溢れてしまうから止めておくけど、ほら、あそこに見えるのが越谷ターミナルだよ。あそこは、たくさんのコンテナがお迎えを待っている幼稚園みたいな所だ。そんな切ない場所だから、人目につかない田舎に貨物ターミナルはあるんだ。結局、僕が言いたいのは、この際、君の心を脱水槽に放り込んでしまったらいい、ってことなんだ。いつまで君は洗濯槽の中でぐるぐる回ってるんだ、ってことなんだ。そういえばこの間、眼鏡を縁なしに変えようか、なんて悩んでたよね。そんなの結婚しちゃえば、すぐ解決することだよ。ウェディングドレスに眼鏡は似合わないから、コンタクトにするしかないだろう?だから二人で二槽式洗濯機のある生活をしてみようじゃないか。踏切より歩道橋を選んでしまう君は、きっとすぐに気に入ると思うよ。でも、さっきも話したように、肝心の脱水槽が壊れているんだ。だから今しばらくは、君の体内のオアシスが枯れてしまわないように、遠回りするデートをこのまま、続けていくしかないと思ってるんだよ。


( 『文学極道』 所収、文学極道2006年創造大賞受賞)






ひと言

デート中の彼と彼女の食い違っている感じが作品から伝わってきて、どこか可笑しくて切なくて、いやいや笑ってはいけないのだけれど。それにしても彼女は完璧なようでいてどこか抜けているし、彼は自信なげだけれどどこか筋が通っていて、この二人が結婚したら、きっと、うん、とか、あ、そうだね、とか、言っているうちに、ま、いいか、と言いながら片隅で新聞をじっと読んでいる彼がいて、そんなことを知ってか知らずか、彼女はどこか楽しげで。という構図が、この作品を読んでいるうちに目の前にふわーっと広がりました。

りすさんの作品は日常の悲哀を扱っていながら、言葉も文章のスタイルもどこにも寄りかかっていなくて、それでいながら浮いていず、言いたいことがきっちりと伝わってくる凄みがあります。モモンガやイタチなど動物を使って書いた作品も面白かったし(「モモンガの帰郷のために」「群馬のイタチ」)、意表をつく発想が新鮮でした。

文学極道は新世紀詩文学メディアとして、2005年にダーザインこと武田聡人さんが立ち上げられた詩の投稿サイトです。そのサイトが今回、アンソロジーとして本になりました。文学極道の最初にはこう書かれています。

「芸術としての詩を発表する場、文学極道です。糞みたいな言語派や、つまらない身辺雑記のような物を貼りつけて馴れ合うための場ではありません。創造し、感応する新しい器、21世紀における、新たなる世界性を獲得せよ。・・・(中略)・・・ここは芸術家が修練する場であり、芸術家が傑作を発表する場でありますので、厳しい罵倒・酷評を受ける場合があります。罵倒耐性の無い方はご遠慮ください。」

時には罵倒・酷評が逸脱して個人攻撃に発展してしまう場合もあるようですが、言葉の「修練」という部分は保たれているようで、数ある投稿サイトの中でも比較的質の高い作品が見られます。

欲を言えば、文学極道に投稿される方たちがネットの世界だけにとどまらず、もっと大きな詩の世界へ出ていってほしい。ネットだけで終わるのではなくて、現在活躍されている大きな詩人さんたちの中で修行されたら、さらに凄みのある作品が書けるようになる。なぜなら参加者の方たちにはこれからさらに伸びる才能が充分備わっているのだから。この本を読みながら、そのように思いました。

りすさんの健筆をお祈りしています。



りす

1971年生れ。埼玉県在住。会社員。
りさんのブログ: まにあってよかった

by hannah5 | 2009-07-17 23:29 | 私の好きな詩・言葉

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