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日本の詩を読む IX その7   


9月2日(月)は「日本の詩を読むIX」の7回目の講義でした。今回は最近野村さんが読まれた萩原朔太郎の『宿命』についての講義が少しと、受講者からの希望で、荒川洋治の作品を読みました。

『宿命』は萩原朔太郎の自選アンソロジーで、2部構成になっており、1部に散文詩、2部に抒情詩が収められています。朔太郎は晩年になるにつれ、ほとんど詩を書かなくなり、代わりに散文詩を試みていたようです。

荒川洋治の作品は実は読んだことがなく、この講座で取り上げた作品が初めて読んだ作品です。代表詩集『水駅』は伝統的な詩人たちからは不評だったということですが、当講座の受講生たちからもあまり良い評価はありませんでした。しかし、作品にはどこか女性的な感じがつきまといます。聞けば、詩を書く時は男性的な部分が消えて女性的な感覚になるのだとか。わかりにくいとされている荒川洋治の詩は、もしかしたら男性詩人たちの手の届きにくい領域で編まれたからかもしれません。


水駅


妻はしきりに河の名をきいた。肌のぬくみを引きわけて、わたしたちはすすむ。

みずはながれる、さみしい武勲にねむる岸を著(つ)けて。これきりの眼の数でこの瑞の国を過ぎるのはつらい。

ときにひかりの離宮をぬき、清明なシラブルを吐いて、なおふるえる向きに。だがこの水のような移りは決して、いきるものにしみわたることなく、また即ぐにはそれを河とは呼ばぬものだと。

妻には告げて。稚(わか)い大陸を、半蔵のみどりを。息はそのさきざきを知行の風にはらわれて、あおくゆれるのはむねのしろい水だ。

国境、この美しいことばにみとれて、いつも双つの国はうまれた。二色の果皮をむきつづけ、錆びる水にむきつづけ、わたしたちはどこまでも復員する。やわらかな肱を輓(ひ)いて。

青野季吉は一九五八年五月、このモルダビアの水の駅を発った。その朝も彼は詩人ではなかった。沈むこの邦国を背に、思わず彼を紀念したものは、茜色の寒さではなく、草色の窓のふかみから少女が垂らした絵塑の、きりつけるように直ぐな気性でもなかった。ただあの強き水の眼から、ひといきにはえしく視界を隠すため、官能のようなものにあさく立ち暗んだ、清貧な二、三の日付であったと。

水を行く妻には告げて。

by hannah5 | 2013-09-06 01:12 | 詩のイベント

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