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私の好きな詩・言葉(157)「大学四年生」(そらしといろ)   


大学四年生


昨夜、母が私の茶碗を欠いたので
今朝、その代用品として宛がわれたのは
来客用の、薄い肌の白い茶碗だ

窓の外は、たっぷりとした雨雲がじっと黙ったまんまの、六月

居間に用意された、私の分の朝食はいつも広告がかぶさっている
この家で一番遅い朝食をとる
私はいつも一人で朝食をとる
木の椀に温めなおした味噌汁をよそう
白い茶碗に保温された白い飯をよそう
両手に一個ずつ器を持って、六人掛けのダイニング・テーブルの
(四角いテーブルの、向かい合う二辺に三つずつ並んだ椅子の)
片方の真ん中に、着席する
テーブルに窓の虚像が映っているのを見て、
部屋の電気を付け忘れているのに気付いたが、
私一人きりなので消したままにしておこう

広告の下に隠れていたおかずは、
ウィンナーを焼いたやつ(冷えている)
小松菜と油揚げの煮浸し(冷えている)
甘くない玉子焼き三切れ(冷えている)
電気の付いてない今朝の居間にあるそれらはとても
寂れた食堂の食品サンプルのように頑なだったので
全ての皿を、冷蔵庫へしまい込む(用意してくれる母には、申し訳ない)
とりあえず、こげ茶の箸を持って
私はいつもどおりに、味噌汁から口を付ける(妙に泥臭い、しじみ)
そして、あまり触ったことがない、
白い茶碗を左手に持つ

(、どきり)

白いままの薄い肌から伝わる
白い飯の温もり、重さ
左手にちょうど良く収まる大きさ、丸み

(、どきり、どきり)

衝動、的 に、

行儀が悪いと怒られるのは承知の上で、
茶碗の縁に口を付けたくなったので、
冷蔵庫から白い殻の玉子を出して、
それでも白い殻は慎重に割って、
白い飯の上に生卵をのっけて、
右手に持った箸でそぉっと、
黄身に膜を突き破ったら、

衝動、的 に、

まぜるまぜるまぜるまぜるしろみもきみもま
ぜるまぜるまぜるほんのすこしかなしいかん
じがしたのでなみだもまぜるまぜるまぜるま
ぜるぐるんぐるんはしがまわるまぜるまぜる
まぜるまぜるただただみぎてのえんしんりょ
くのままにまぜるまぜるまぜるおしょうゆを
ひとまわりまぜるまぜるまぜるまぜるまぜる
はい、たまごかけご飯

これで、やっと、口付け、られる
白い茶碗の、縁にやっと、口付けられる

少しだけ冷めた茶碗の温度が左手に伝わる
(、どきり、どきり、どきり、)
白一色だった茶碗に生卵の黄色が、滑稽だ
(、どきり、どきり、どきり、どきり、)

いよいよ、
白い薄い肌の丸みを帯びた茶碗の縁に口付け、
くちづけ、て しまう

    あ、
思いのほか、唇に馴染む釉薬の具合に引きずられて、無心
あとはもう、たまごかけご飯をごくごく、ごくごく、飲み込んでしまった

(妙に泥臭い、しじみの味噌汁が冷えている)

中身は空っぽになった、黄色っぽい白い茶碗にもう一度だけ、口付ける(冷えている)
それはもう、
ただの、来客用の、薄い肌の白い茶碗だ

(素晴らしい夢が覚めてしまったあと、
寝起きの布団に染み込んだ体温が蒸発して、冷えた
一組の布団に戻る瞬間、現の朝を感じたのに、
朝食の最中も私は、まだ現にいなかったのだろうか、でも腹は満たされている、黄色い
たまごかけご飯は私の胃袋で黄色い胃液とまざって、まざって、て、て、       )

しじみの味噌汁を流しにたらたら捨てつつ、白い茶碗の黄色い汚れを洗剤で落としつつ、
夢を、下水として処理した気分を、味わう



居間の時計が、午前九時少し過ぎをさした
大学へ行かなければ、大学へ
洗った茶碗を急いで布巾で拭いて食器棚へ伏せて最後に放した右手の人差し指に残った
感触は、

 大学へ行かなければ、大学へ、
貴女のいる女子大学へ行かなければ、女子大学へ、
少し空ろ気味な私の精神を、葉脈の標本にしないために、
貴女のいる女子大学へ行かなければ、女子大学へ行かなければ、行かなければ私は、

 今一度、先ほどの温もりと感触を、唇で思い出しながら、歯を磨いている
洗面所の鏡に映った私は、
鏡の外側で、薄荷の冷たさを肺いっぱい取り込んで、
肺胞の一つ一つに満たして、疑似的な冬の朝の空気を、毎日感じている
既に得た知識を、一生懸命繋ぎ合わせることによって、私は、
(知らないことを知りたい、しりたい、知的欲求をみたしたい、貴女の、あなたのむねに
くちづけて、しらないかんしょくを、しりたいのだ)

 だから私は行かなければ、
大学へ行かなければ、大学へ
貴女のいる女子大学へ行かなければ、女子大学へ

 今日は水曜日だから、ノートもファイルも一冊ずつでこと足りる
とっても軽い茶色のリュックを背負って、二年くらい洗っていない白いスニーカーを
履きながら、玄関の外で梅雨が始まってしまった気配を、
私は、一人で感じている

(私は貴女から、夏が好きだというあなたらしい、藪蚊がすりよってくるほどの、白く燃
え立つかげろうのような気を、こっそり、やぶかのようにもらって、もらって、て、て、)

大学へ行かなければ、貴女のいる女子大学へ、

大学を卒業するまであと、にひゃくきゅうじゅうさんにち、きょうは、ろくがつみっか

   私は、大学四年生

(そらしといろ詩集 『フラット』 より)







ひと言

そらしといろさんの詩集を読んでいると、私自身が通過した二十代の頃の痛みと哀しみがあの時のまま、生の形で蘇ってくる。十代の頃には閉ざされていた大人の世界が二十代に入って少しずつ目の前に開き始める。大人の世界への憧れ、けれどそこには到達できない未熟さ、深まり続ける内的感覚、初めての大きな失敗と消失と孤独。甘くゆらゆらしていたものが、ある日突然抗いがたい大きな力によって抉られてしまったことへの恐怖、それでもなお底の方で消えなかった運命的な揺さぶりへの直観。私はそれらを焼却し、地中深くに埋葬したはずだった。

いきなり私自身の内面の記述から始めて申し訳ないが、それほどそらしさんの詩集は現在の私自身の原点を再確認させるものがあったのである。測ることのできない哀しみ、定義することのできない限りなくグレーに近い何か、それでも手を伸ばし共有することを心のどこかで求めている健康な明るさ―切なさと言うといかにもありきたりだが、そらしさんのそういう切なさみたいなものが詩集全体を覆っていて、ああ、そんなふうにあの時私はどうすることもできなかったんだと詩集を読みながら思い出していた。

「いま読み直してみても、新鮮な驚きがある。ありがちな現代詩的コードにも染まっていないし、それよりなにより、濃厚な物語的雰囲気のなかで、しかしいったい誰が書いているのか、あるいはどこから言葉は出ているのか、そのあたりがなんとも捉えがたいのだ。「友」という言い方だけがきわだっていて、またそのまわりの、換喩的に配された事物の喚起が鮮やかで、そのぶん詩の主体は、性別も年齢も明かされることのないまま、テクストの背後に秘匿されてしまっているかのようなのである。だが、それがそらしといろの出発点だ。/これはたとえば、同世代と思われる文月悠光の、世界へと剥き出されたあの「適切ならざる私」とはまたちがった主体の姿であるといえよう。この詩集へと詩の主体を決定づけているのは、もはや、あらかじめの性でもない。世界とのアンバランスでもない、時代の空気でもない。そうではなく、もっとひそやかな、もっと底深い情動につき動かされたいきなりの他者への呼びかけ、他者の希求なのである。」栞に置かれた野村喜和夫氏の言葉である。詩集『フラット』は第24回歴程新鋭賞を受賞している。


そらし・といろ

そらしさんの略歴は詩集に書かれていないのでわからないため、ここでは彼女のブログを引用しておく。
そらしといろさんのブログ: citron voice

by hannah5 | 2014-03-23 23:23 | 私の好きな詩・言葉

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