私の好きな詩・言葉(94) 「空豆がのこる」 (小池 昌代)
2007年 01月 07日
空豆はすぐにゆであがり
わたしは「待って」と言った
湯をこぼして
「食べていって」
流しのステンレスが、ぽこん、と鳴った
それなのに
行ってしまったのは。
なによ
それで
山盛りの空豆のひとつひとつを
ちいさくやぶり
くちのなかへ
うすあおみどりの貝殻を
すべらせするする
いくつも食べた
いなくなったぶぶんの
空気をごまかさないで
追いかけていってもよかったのに
空豆のいろが目のはしに残って
こんなじぶんはなんだ
食べなさいよ
と言うところもそうぞうして
八百屋さんでたくさん買ってきたのだ
仕方がない
外皮を破くと
ぴゅっと、ぴゅっと、
でてくるでてくるほらね
際限なく
わたしはわたしへ空豆を生み続ける
ゆであげる前も楽しいのよ
固いこちこちのみどりのかけらが
湯をくぐり
ふっくらと
くぼみはくぼみ、そのままにゆであがり
くちに含めば
まだ固さを残して
みどりの舌
そのちいさくて、たのもしい
あつみのある若い舌がわたしの舌へ
ぽってりとかさなる
歯にわらわらと
やさしくくずされ
くだかれてしまう
くだかれてしまう
空豆を食べる
えいえんの輪のなかで
わたしはあのひとの不在にさわる
話なんてなにもないし
しなくてよかった
すぐにゆであがるのだから
いかないで
食べるのを見たかったし
なによりも
分けたかったのが
あのひとにわからない
空豆がのこる
( 『現代詩文庫 小池昌代詩集』 より)
ひと言
小池昌代さんの詩をご紹介するのはこれで4回目。今のところ、現代詩人の中ですごいと思っている人の一人である。小池昌代さんは東京出身(深川)だそうだが、そのせいか、私にしっくりくる。アナログなのにどこかデジタル、人間関係がどこか数学的だ。どろりとしないこういうさっぱりとした感性は好きだ。
せっかく食べてもらおうと思って買ってきた空豆を食べずに行ってしまったあのひと。残ったわたしはひたすら空豆を食べている。あのひととの気持ちのすれ違いが、空豆の描写に託されて秀逸。
by hannah5 | 2007-01-07 23:53 | 私の好きな詩・言葉