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詩が。。。   


立ちのぼってくるモノの気配に
何も失いたくなくて
夜中というのに
ペンを握りしめてうろうろする

一人ずつ深さと奥行きがちがう
  闇の
  情けの
  哀しみの
  喜びの
  それぞれ

魂の奥で
それらが加熱され
魂から絞りだした汁がかけられると
熱いような
苦いような
生のような
乾いたような
嗚咽が漏れる

それらが光合成を繰り返しながら
息を吸ったり吐いたりしている
そのたびに細胞が生まれる
細胞が死ぬ
細胞が生まれる
細胞が死ぬ
死んでいく細胞を踏んづけて
不協和音を奏でつづける

私たちの闇を
情けを
哀しみを
喜びを
それぞれを
言い表わす言葉がかつてあったか

やっと息をしはじめた
詩という
立ちのぼるモノ





現代詩手帖12月号」(p.10)

佐々木幹朗氏の言葉より
「今年は単行詩集の出版点数が例年に比べてぐっと増えたという印象がありますが、そのなかでぼくの感想は、ひとつには、すべての年齢層において充実した詩集が多かった。もうひとつは、思潮社が「新しい詩人」というシリーズを刊行したということもあると思いますが、二十代から三十代前半の、新人といわれる詩人たちの作品が一斉に出た。それまでそれぞれがポツンポツンと出していたのが、束になって見えてきて、そのことは非常に大きいと思うんです。まったく新しい詩の書き手が量として顔を出してきた、というのが今年の大きな特徴だと思います。
  その二点から、今度は詩の内容のことで感じたことですけれども、詩の大きな端境期、あるいは転換期であるということが今年ほどはっきりと見えてきたことはないと思います。その傾向は数年前から兆していましたが、一挙に量として見えてきたことによって、端境期あるいは転換期のかたちが鮮明になった。長い間詩を書いてきた人間から言いますと、ほとんど四十年ぶりか五十年ぶりかみたいな、いままで経験したことがない活気を感じています。ぼくが詩を書き始めた十代のときに戻ったような、読んでいるほうが若やいでくるっていう感触をもったんです。それは日本の戦後詩がもってきた技法からまったく切れたかたち――それを意図的に切ろうとするのではなくて、読み始めたときからそんなものはないとして現れてきた世代の言葉の扱い方の面白さです。ぼく自身、自分が書いてきた詩の技法を壊すのに自分のなかで闘いつづけているわけなんですが、まったく違うところから無関係な言葉として現れてきた作品に出会ったときの快感。それは学ぶべきところが多いという感じがとてもします。
  そのことは言語だけ、詩の場面だけに現れているのではなくて、どのジャンルでも同じ問題が襲ってきているように思うんです。だいぶ前から教養というものが無効になっていて、美術の世界はとくにそうですね。教養を土台にした美術作品から離れて奈良美智さんや村上隆さんのような作品が出てくる。こういうことは時代の端境期あるいは転換期には必ず起こってくる。同じことが、今年詩の世界でもいろんな角度においてはっきりかたちとして現れた。長く詩を書いてきた詩人たちも、詩を書く方法を自ら壊して、この時代との呼応関係のなかでの読み取りを、それぞれの方法のなかで見せ始めた。それが今年の詩集を読んで得た全体の印象です。」

by hannah5 | 2007-01-08 23:40 | 作品(2004-2008)

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