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私の好きな詩・言葉(95) 「Penis from Heaven」 (小池 昌代)   

大きく広げた男の股の中心に
女がおずおずと手を触れる
男は大きくて
頭の髪の毛がはげかかっている
女は分裂症
美しい魂の持ち主で

「どうしてここまで男をさけられた?」

と男に尋ねられるような女である。
初夜のベッドで、

(ほら、見てみな)
(さわってみな)

そんなことを
ことばには出さないのに
やさしい男が思っていて
自分の一物と女とを
見比べるところ、よかったなあ
映画のはなしだ
あんな美しい場面はないと思う
あんなやさしい場面はない
ある日
つらいことがあり
気持ちのふさぐ日
なんということはなく
とても自然なうごきで
私のなかに
あのシーンがよみがえってきたことがあった

(ほら、見てみな)
(さわってみな)

そのとき
女の手がのびるかわりに
私のなかから手がのびて
なにかとてもあたたかいものに指が触れた
ほの暗く
どの場所よりも深い、人間の股
その股を
あんなふうに押し広げられる男とは
いったい、どういう人間なのか
映画のなかの
人間の経験は
そのとき
私のなかでよみがえり
おしつぶされた私を
そのまんなかからあたためてくれた

「(自分との)結婚で、(彼女は)なにもかも花開いたと思わないか?」

私のなかからそっと伸びた手
そして
あたたかい陰茎に触れた触感のイメージ
これら、恩寵のようなやさしさは
いったいどこからやってきたのか

たとえば
春、雪の下からふいにあらわれる
ふてぶてしい、黒土のような
たとえば
沸かしたての、あたらしい湯のような
けれど
どんな比喩も届かない
あれこそは
生の芯
そのものだった


( 『現代詩文庫 小池昌代詩集』 より)




ひと言

小池昌代は大きい詩人だと思う。人間の股という一番暗くて秘密の部分と自分がどのように関わっているかを詩に書くことによって、人間の存在をどのようにとらえているかを伝えている。

ある日、とても気持ちのふさぐ日にある映画の男女の初夜のシーンを思い出す。このシーンを回想し、その中に自分を投入させることによって、不確かになりかけていた自分の存在を確認する。そこには生命を包み込む大らかさがあり、大地に根が張ったような確かさがある。そして、それは「たとえば/春、雪の下からふいにあらわれる/ふてぶてしい、黒土のような/たとえば/沸かしたての、あたらしい湯のような/けれど/どんな比喩も届かない/あれこそは/生の芯/そのものだった」である。小手先のどんな比喩も及ばない。

(小池昌代を5回続けてご紹介しましたが、これでしばらく休むことにします。)


小池 昌代(こいけ まさよ)

1959年東京・深川生まれ。幼年時より、詩という概念に心惹かれ、いつか言葉によって、詩を書きたいと切望した。第一詩集 『水の町から歩きだして』 (1988)以後、『青果祭』 (1991)、『永遠に来ないバス』 (1997、現代詩花椿賞)、『もっとも官能的な部屋』 (1999、高見順賞)、『夜明け前十分』 (2001)、『雨男、山男、豆をひく男』 (2001)。エッセイ集には『屋上への誘惑』(2001、講談社エッセイ賞)。このほか、数冊の絵本の翻訳がある。

1995年、「音響家族」創刊。1989年~1999年にかけて、林浩平、渡邊十絲子とともに、詩誌「Mignon」を作り、2002年からは、石井辰彦、四方田犬彦をメンバーとする「三鷹2」に参加した。

( 『小池昌代詩集』 より抜粋)

by hannah5 | 2007-01-15 01:34 | 私の好きな詩・言葉

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