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私の好きな詩・言葉(96) 「海に立つ」 (文月 悠光)   


かかとからつま先へ。水の穂になでられた足が波に映って、きりた
つ。足裏はしろたえの丘である。波にこだまし、丘は光を芽ぐむ。
鮮やかな旭光は空へのたむけであった/わすれない。海面が綾もよ
うにひろがっていき、潮先に指を這わせながらそれを掬んでいく。

器を満たし、氷魚とたわむれていると、手の中で無数に微粒子がこ
ぞって映える。ひろげた指の間からこぼれて、消えぬままに落ちて
いった。器の底はほの暗く、私はまだ行ったことがない。(すなわ
ち、私は落ちない)けれども、まばゆいものたちを追って素足を踏
みだした。刹那、小さな波が引き去っていく。そのこみちを駆ける
私のからだが行きしなにうちよせ、やわらかな海岸線をむすぶ。
わたしの海をただよう私なのだ。

船べりに腰かけている私を、船乗りたちが不思議そうに見ている。
彼らの腕はたくましいが、いくつかは枯ればんでいる。
「船遊びはなさらないのですか」
私はふと尋ねた。こまやかな泡が消えゆくことさえわかならい船乗
りたち、つぐなう陽光を背に受け、私に問いかえす。
「お嬢さんや、この船はどこに行くのだね」
私は、ともがらとしてとどまる魚たちを逃がし、手首をたんねんに
撫でていく。
青い魚たちはふりむかない。肢体をめぐる鱗ひとつひとつが海面と
対になって/はなれる。やがて展望する一匹が、ウミツバメにとけ
たようだ。ほかのものたちもすみやかに。よって、空は初めて遠く
なり肌身となる。これが最後のたむけである。おお涼やかだ私は。
「船乗りさん、お歌をうたいましょう」

 舵とる翼がうずくたびに思いだすよ。
少女の魚の中に一匹だけ、船の方をふりむいた獣がいたことを。
 あのときは気づけなかった少女だって、いまごろはよく知ってい
るに違いないね。

満たされた器に水面がちらつきはじめる。からだを反らし見上げる
と、木の葉の影が揺れていた。おそるおそる影に手をのばす。にわ
かに辺りはあかるくなった。くぐもる沙が舞いあがり、氷魚のすが
たは凝らしても見えない。私の手首がくべられたように赤くなる。
(木の葉から散っていくかたち――ひらかれたもうひとつの手首を
意味しているのか――それは器をふるわせ、漁火をよびよせた)潮
のない海をまさぐる私なのだ。

海原を満身でうけとめ、初めて知りえるものがあった。波を手で起
こすと、山のいとなみに触れる。さざめごとなのか。しかし、船べ
りがしっとりとした緑に染まっていく。立ち上がった水はいくえに
も刻まれて吹きだし、草木にかわる。私の横を、一瞬にして山犬が
駆けていった。そのあとを追い、くれない色がツタのようにのびゆ
く。山ひだにからまると、大きくたなびいて地面を真っ赤にした。
足もとから、ゆっくりとツタがくずされていく。もろくやわなもの
になる。かがんで掬いとると、まろやかであった。
「私は砂浜に立ったことがあります。
けれども本当のことを言って、海に立ったことはないのです」
一匹だけ、ウミツバメになれない魚がいるのだ。吠えたいおもいに
ねじを巻かれ、満ち足りた海ではなく、しなやかな三日月へ/とび
こんでしまうために。
「立ちたいのです。海に立って、私を満たしていきたいのです」
船乗りたちは潮風にむしばまれたのか黙ったままだ。船べりがなだ
らかにくぼみ、私のからだを海面に引きつれる。ふり返ると、甲板
だけになった船の孤島から一気に飛び立つ。ウミネコたちだ。(あ
りがとう、船乗りさん)踏みしめた水がつくねんと湧きだし、赤く
染まっていく。空を映した海の潮が息をふきかえす/わすれない。
(すなわち、器は海である)




ひと言

第三回詩学最優秀新人賞に選ばれた文月悠光さんの作品。今、『現代詩手帖』 でも 『詩と思想』 でも、そして 『詩学』 でも注目を浴びている15歳、中学3年生。受賞を受けた時の「詩の海になりたい」と題した悠光さんの言葉がいい。「作品を生みだすこと、それは子どもを産むことに似ています。私は十五歳ですから、もちろん母親になった経験などありません。ですが、詩を書いているのを感じる瞬間があるのです。産み出すこと、それは詩人にしかできない営みです。しかし、育てる、という作品への手ほどきは、読み手にしかできないものだと思います。読み手はすべての作品の母親なのです。/さすれば、私は母親以前の母親、つまり海なのかもしれません。詩作という“誕生”。それから母と子、読み手と詩の“出会い”、それは人知を超えた“何か”なのです。/空を映して青い海、赤い海。月とともに満ち引き、ゆったりとした小波、ときに荒々しい大波。/そんな詩の海に私はなりたいと思います。」

選者二人の言葉。
いとうさん「文月悠光さんは、見えている人だ。見えていて、それを形にすることができる。そしてそれらすべてが彼女特有の立ち位置にあり、詩人として有すべきものを備えている人だと考える。ただ、その年齢ゆえにときに不安定さを見せるが、それや今後の努力で払拭できるものであろう。マイナスを補って余りあるプラスを有している。」
北爪満喜さん「文月悠光さんは、作品に揺れ幅がある。が、すっと存在というような言葉を使えてしまう。そのあっけなさから離陸したくて、身近ではない言葉を採集し、書いているようなところがあり、それは詩を拡散させているけれど、押さえ切れない言葉への欲求がドライブ感を生み出してゆくこともある。これから身近な人との関係を見つめる方向を期待したい。」

ねえ、悠光さん、これからどのくらい大きくなるんだろう。今、詩人として活躍している人たちはひたすら書いて書いて、過去の自分の作品にとらわれず、自分の中から湧いてくる言葉の力に押し出されて書き続けて、その延長線上に今がある。悠光さんの詩は今に日本を飛び出して地球を何周も回るようになるだろうか。楽しみです。詩学最優秀新人賞、おめでとう。


文月 悠光(ふづき ゆみ)

1991年、北海道生まれ。中学3年生。
悠光さんのブログ: お月さまになりたい。



※各行の右端が不揃いになりました。
『詩学』 の原文ではこのように組んでありますが、ここではまっすぐに揃えて出すことができませんでした。

by hannah5 | 2007-01-26 14:19 | 私の好きな詩・言葉

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