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詩が書きたくなりました。   


詩が書きたくなりました。
と書くと、今まで書いてきたんじゃないの?と言われそうですね。

私が真似事で詩を書き始めたのは20代のころですが、その発端は高村光太郎でした。その頃、高村光太郎研究者の北川太一さんが主催されていた「高村光太郎研究会」(現在は「高村光太郎談話会」)というのがあり、私はそこへ定期的に出入りしていました。北川太一さんが新しい資料を発見されたり光太郎関係の書籍を刊行されたりするたびに飛びつくようにしてそれらを読み、連翹忌や智恵子展のような研究会主催の催し物には必ず顔を出し、福島県二本松にある酒造り屋だった智恵子の実家を見学し、果ては光太郎に多大な影響を与えたロダンの彫刻を見にはるばるパリのロダン美術館まで足を運んだり、光太郎の研究者かと思われるほど入れ込んでいた時期があります。(だから、光太郎研究会から研究会誌に論文を書いてくださいという依頼までされていました。もっともこの話はまったく覚えていなかったのですが、最近その頃書いた日記を読んでいたらそんなことが書いてあったので、あの頃はかなり悲壮感たっぷりの入れ込み様だったのだなと思いました。)その頃書いた詩は私の言葉というより、光太郎の言葉を写したような詩でした。なにせ光太郎の言葉をノートに書き写しては暗誦していたのですから、だんだん光太郎ばりになるのも当然だったかもしれません。ただ、あの頃はもっとゆっくり言葉を書いていたと思います。丁寧に推敲したり訂正したり、じっと寝かせておいたり、ひとつの形に仕上げるのに時間を長くかけました。どこかに発表するために書いていたわけではありませんでしたが、あの頃の自分の詩を読むと、今よりずっと言葉が落ち着いているのを感じます。

昨夜、詩織を始めてから書いた詩を少し読み返していたのですが、ハイスピードで書いた詩はいかにも言葉が粗く、こういう状態をこのまま放って前に進むことはできない、少なくとも納得のいく詩を書いていきたければもう少し丁寧に言葉を拾っていかなければだめだとつくづく反省しました。

これからは詩をもっと丁寧に推敲しながら書いていくことにします。詩織の更新はその作業が終わった後で行いますが、書いた詩をすべてアップするかどうか今のところ未定です。したがって、更新がかなり遅くなることも予想されます。また、エキサイト以外のブロガーの方達が詩織を訪れてくださる窓口としてランキングを置いておきましたが、それも必要を感じなくなりましたので取ることにしました。

いつも詩織を訪れてくださってありがとうございます。ゆっくりの更新ですが、これからもお付き合いのほどよろしくお願いいたします。


はんな

by hannah5 | 2008-02-20 22:17 | ご挨拶

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