私の好きな詩・言葉(124) 「故郷にて死にかける女子」 (最果 タヒ)
2008年 05月 25日
吐く息がよだれだったわたしをあ//
いせるか頭上に鳥の巣が出来ている朝
がきているわたしは目玉焼きを欲する
がバランスからいうとおきあがること
は不可/能だ小鳥はまだ飛べない//
かあ
かあ
カラスが部屋中を跳びまわっている
羽 はわたしの髪だった気がする
かあ
かあ
わたしの十年前の声だった気がする
雨
の 降る中で
こ こ
こどもか きみは
こどもがいた
てのひらに
とけた あめと
とけた チョコレイトと
とけた 傘
を
にぎって わたしになげつけたわたしになげつけたわたしになげつけたつけたつけたつけ
た !
きみは・・・・・・
わたしは言いかける
皿を洗っている 間は
手が裂けたことに気付かないのだ
マッチが部屋を訪れると
おそれる きみ
わたしは隠れる
タンスの中に
マッチ
は
太陽から逃げてきたらしい
冬と
夏 のあいだをおよぐ さかな
がたべたい
まぐろ が言う
わたしは
まぐろがたべたい
神戸の入り口に 地獄の絵図を飾る
わたしのあいしたひとはここにしかいませんから
(だれもこないでこないでこないで)
(で で で)
と
さけぶ
それしかできないわたしは
きっとここから追い出される
(『グッドモーニング』から)
ひと言
第13回中原中也賞を受賞した最果タヒさんの詩集。最果さんの十代の頃の作品集。最初に読んだ時の正直な感想は「十代はまだ未熟なんだから、そんなに若い人に大きな賞をあげてもいいのだろうか」だった。十代には感受性の豊かな時期がある。その数年の短い時期に顕われる感受性は年を経るに従って、磨耗し、消滅していくものである。十代で頻繁に詩を書いていたとしても、二十代になって就職し、結婚して子供を持ち、「大人」になるうちに詩は書かなくなるかもしれない。あるいは、詩を書く必然性を感じなくなるかもしれない。自分のことを振り返ってみても、十代の頃に抱いていた新鮮な感受性は消滅していったし、その頃思いつめたようにして毎日書いていた日記や文章の類は次第に意味を失い、終いにはまったく書かなくなった。
そんなわけで、この詩集は1回読んで、後はそのままにしておいた。ところが、何かが私の中で残っていることに、ある日、気がついた。何かが動いた感じがしたのだ。それはもしかしたら、あとがきの最果さんの言葉によるせいかもしれなかった。「十代の作品にはつねに攻撃的な自分が存在していた。そしてそれが染み渡るように世界は鮮やかに鋭く光った。わけもなく悲しく、わけもなく悔しい。そんな自分がにらむ世界は一気に強く輝いて見えていた。」あるいは、栞に書かれた和合亮一氏の言葉によるせいかもしれなかった。「「現代詩手帖」投稿欄において、最果と出会った時の驚きは、今も忘れがたい。ハイティーンの発芽と萌芽の燦めき。芽生えと成長とを瞬時に見せられたかのごとくであり、眩暈すら覚えたものだ。・・・(中略)・・・この詩人は、世界の周波数を厳密に受け止める絶対的なチャンネルを持っている。変化と安定の相のぎりぎりの境界線で、切り替え続ける反射神経が抜群である。」ともかく、最果さんの言葉が私をくすぐりだしたのだ。そして思い出したのは、十代から二十代初めにかけて、同じように私も鋭く哀しく感じていたのに上手く言葉に乗せることができなかったこと、すべて諦めて封印してしまったことだった。
いつか上手に昇華していってほしいと願っているのに、いつまでも昇華しないまま消えずに残っている傷みは、誰にでもあるのだろうか。最近、書き出した「アドレッセンス」は癒す方法が見つからなかったそれらの傷みに対するせめてもの鎮魂歌である。最果タヒさんの詩に刺激されて書き出した。
最果 タヒ (さいはて たひ)
1986年兵庫県神戸市生まれ。第44回現代詩手帖賞受賞。
『グッドモーニング』で第13回中原中也賞受賞。
(お詫び)
実際の本ではきちんと開いていた1枡分が、ブログではフォントが違うせいか、きれいに出てこなかったことをお詫びします。文字と文字の間の微妙な開き具合とか行の絶妙な落ち具合(?)など、この詩にとってなくてはならない要素がここで欠落してしまいました。この詩の醍醐味は実際の詩集を手に取って味わってください。
by hannah5 | 2008-05-25 23:57 | 私の好きな詩・言葉