モノクローム創刊号   



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一色真理さんが主催される「モノクローム」創刊号に「やわらかい下降線」という作品を掲載していただきました。

参加者は一色真理、藍川外内美、北川清仁、草野理恵子、小松正二郎、近藤頌、鹿又夏実、為平澪、根本正午、根本紫苑、野田順子、原田もも代、はんな、平井達也、松井ひろか、みやうちふみこ。(敬称略)

モノクロームでは月1回の合評会も行っています。

モノクローム・プロジェクトhttp://monopro.poetry.jp/index.php






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# by hannah5 | 2018-08-01 14:54 | 投稿・同人誌など | Comments(0)

野川朗読会9   


71日(日)野川朗読会が行われました(於成城ホール集会室)。9回目となる今回の野川朗読会のひとことテーマは「私の立ち入り禁止地区」で、参加者がそれぞれの立ち入り禁止地区を述べ、聴衆がそれに対して「そうか!」と相槌を打つというもの。立ち入り禁止地区は実際の場所であったり精神的なものであったり、それぞれが持つ立ち入り禁止地区を述べました。



【一部】

朗読 伊藤浩子、生野毅、渡辺めぐみ、北爪満喜、そらしといろ、杉本真維子

対談 長野まゆみx田野倉康一xそらしといろ


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杉本真維子さん



【二部】


朗読 長野まゆみ、田野倉康一、樋口良澄、相沢正一郎、野村喜和夫、一色真理、岡島弘子


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長野まゆみさん




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野村喜和夫さん




司会 一色真理

(敬称略)


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# by hannah5 | 2018-07-29 22:50 | 詩のイベント | Comments(0)

「日本の詩を読む/世界の詩を読む」第4期-「日本におけるランボー」第1回、第2回   


野村喜和夫さんの現代詩講座第
4期はフランスの詩人ランボーがどのように日本の詩人に影響を与えたか、「日本におけるランボー」と題し、4回にわたって講義が行われます(場所はエルスール・カフェ)。


【講義予定】

1回 5/13(日) 小林秀雄のランボー

2回 6/24(日) 富永太郎・中原中也のランボー

3回 7/22(日) モダニズムと戦後のランボー受容

4回 8/26(日) 私のランボー体験


1回目は日本でもっとも早くランボーの影響を受けた小林秀雄について、小林秀雄を通してランボーが日本の文学者たちにどのように広がっていったかが講義されました(5/13)。読んだ作品は小林秀雄のランボー論「ランボオⅢ」(一部)と訳詩「別れ」、粟津則雄訳の「母音」と「Omegaの瞳」でした。

2回目はボードレールやヴェルレーヌの影響を受けた富永太郎や中原中也がランボーに出会い、その後彼らの文学活動がどのように広っていったかなどについて講義されました(6/24)。読んだ作品は「遺産分配書」(中也訳)、「バーゲン」(鈴村和成訳)、「献身」(鈴村訳)、leBateau ivre の小林秀雄訳と中原中也訳と金子光晴訳の比較(いずれも部分)、O saisons, o chateaux で始まる無題の詩の中原中也訳と小林秀雄訳の比較などでした。

講義はランボーの訳詩の内容にとどまらず、詩を訳した詩人や文学者たちの人間関係、文学活動などさまざまな角度からアプローチし、深みのあるものになりました。




Le Bateau ivreより

          Arthur Rimbaud


Où, teignant tout à coup lesbleuités, délires
Et rythmes lents sous les rutilements du jour,
Plus fortes que l'alcool, plus vastes que nos lyres,
Fermentent les rousseurs amères de l'amour !


Je sais les cieux crevant enéclairs, et les trombes
Et les ressacs et les courants : Je sais le soir,
L'aube exaltée ainsi qu'un peuple de colombes,
Et j'ai vu quelque fois ce que l'homme a cru voir !




見よ、その蒼き色、忽然として色を染め、

金紅色の日の(もと)に、われを忘れ揺蕩(たゆたひ)は、

酒精(あるこおる)よりもなほ強く、(なれ)()(いる)も歌ひえぬ。

愛執の苦がき(あか)(あざ)を醸すなり。


われは知る、稲妻に裂かるゝ空を、龍巻を、

また寄せ返す波頭(なみ)、走る潮流(みづ)(ゆふべ)送れば、

曙光(あけぼの)は、むれ立つ鳩かと湧きたちて、

時に、この眼の視しものを、他人(ひと)は夢かと惑ふらむ。

            (小林秀雄訳)




其処に忽ち
蒼然(あをーい)(いろ)は染め出され、おどろしく

またゆるゆると陽のかぎろひのその(もと)を、

アルコールよりもなほ強く、竪琴よりも渺茫(べうぼう)と、

愛執のにがい茶色も漂つた!


私は知つてゐる稲妻に裂かれる空を龍巻を

打返す浪を潮流を。私は夕べを知つてゐる、

群れ立つ鳩にのぼせたやうな曙光(あけぼの)を、

又人々が見たやうな氣のするものを現に見た。

            (中原中也訳)



蒼茫たる海上は、見てゐるうちに、

アルコールよりも強烈に、竪琴の音よりもおほらかに、金紅色に染め出され、

その拍節と、熱狂とが、

愛執のにがい焦色をかもし出す。

僕は知つた。引つ裂かれた稲妻の天を、龍巻を。

よせ返す波と、走る射水(いみづ)を。

夕暮れを、また、靑鳩の群のやうに胸ふくらませる曙を。

時にはまた、あるとは信じられないものを、この眼が見た。

            (金子光晴訳)



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# by hannah5 | 2018-06-30 13:58 | 詩のイベント | Comments(0)

「日本の詩を読む/世界の詩を読む」第3期-「日本現代詩アンソロジー 1990-2015 を編む試み」第4回   


4
回目の講義は「新鋭たち」と題して、2000年代になって登場した若い詩人たちが取り上げられました(422日)。これまで取り上げられた詩人たちとはまったく異なる言語感覚と表現方法を持つこの新しい詩人たちの作品は、取っつきにくさやわかりにくさはあるものの、教室の参加者たちには好意をもって受け取られました。取り上げられた詩人と作品は岸田将幸の「ゼリー、ゼリー」、中尾太一の「a viaduct」(一部)、三角みづ紀の「私達はきっと幸福なのだろう」、岡本啓の「コンフュージョン・イズ・ネクスト」、暁方ミセイの「呼吸が丘 二〇〇九年五月十四日」、最果タヒの「2013年生まれ」、文月悠光の「適切な世界の適切ならざる私」でした。






呼吸が丘 二〇〇九年五月十四日


       暁方ミセイ



緑色地帯から

発光している

しがつの霊感の、稀薄な呼気だけを肺胞いっぱいに詰めて

そのまま一生沈黙したい

水の気配として震えがおしえる、ごくわずかな青い朝に、

くちびるを押し開く時はもう

わたしは世界よりも大きくふやけあがっていて

飲み込むことで

見ることへと、消えてしまいたい

あらゆる怒声や歓喜や眼差し、腕や足の、赤いものたちが

渾身で打ち寄せる壁には

粉砕されて散り散りになる いっしゅんの呼吸が

繰り返されているだろう、

そしていつも世界が次へと運ぶだろう

朝へと 朝へ


静かになるためには、眼差しを一枚ずつ重ねていった

おもたい青空の、見える一層一層から

そこに薄くのびている空気が動く、光の稜線としてわかる

貫く紅色スペクター

もっとも

空に近い臓器の、血管が、

伸び、広がり、充実していく

赤血球で豊かになる世界に

馬や鹿のうつくしいみどりの眼もあった

あるいは腐葉土の中の虫たちも

それら組織液の中に取り込まれ、ゆっくりと回転させながら、

野をこえ、山をいだき、

血液はどこまでも

そのひとつひとつが眼差しとなって拡散していく

眠気で目覚めはじめる色彩のような

身体のいちばん奥にある

やわらかな結合を一本ずつ

ほどいていくと

おもたい細胞のひとつひとつが水気を思い返し

いまやどこまでもひとつずつとなって

風景を再び

構成するだろう







コンフュージョン・イズ・ネクスト


       岡本啓



肩のあまったシャツ

もたれかけた指をはなすと

頬にニュースのかたい光があたった

あっおれだ、いま

映った、いちばん手前だ ほらあいつ、ほら

いま煉瓦を投げつける


きみは興奮しながらスープの豆を口に運ぶ

母親がひたしたスープ

煙がくるなか、担架を 肌のちがう二人が持ちあげて

走りさる


こんなちいさなふやけた芯が 四肢を一日燃やすのか

舌で こうやって

怒りの殻を 剥ぎとってくと

一粒のおののく歌もおれにはない

おれは恥ずかしい、いまも

ショーウィンドーを どうしようもなく

たたき潰したい

こんなこと、あっていいのか

ヨウナシ、においはしない

拳に似た、輪郭ののか なにもない


ちがう

ぼくが言う くだけちったガラス

あらゆるものが萎れるんだ

ほんとうに宇宙は

なにもない

一人の女から産まれて

ここにいる それじたいが 暴動だ







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# by hannah5 | 2018-05-11 22:54 | 詩のイベント | Comments(0)

「日本の詩を読む/世界の詩を読む」第3期-「日本現代詩アンソロジー 1990-2015 を編む試み」第3回   


3
回目の講義は「ゼロ年代詩へ」と題して、川口晴美、和合亮一、蜂飼耳、杉本真維子、小笠原鳥類が取り上げられました(3/25)。講義に参加している人たちの多くは年代が高いせいもあってかこの詩人たちの作品を読んだことがなく(名前すら知らない人が多かったです)、しかし彼らの作品は斬新な響きをもって受け入れられました。難解だ、わからない、といった意見もありましたが、総じて好意的に受け取られたようです。もっとも人気があったのは杉本真維子さんの作品、そしてわかりにくいだろうと思われた小笠原鳥類さんの作品は案外理解されたり、気に入られたりしました。それぞれの詩人が持つ特異性の背後にあるリアリテイは私たちの日常と密接につながっていることが多く、そこから独自の世界を広げながら発信しているそれぞれの作品は、読み手の私たちに詩を読むことの楽しさを伝えてくれました。読んだ作品は川口晴美の「ファントム・リム」、和合亮一の「世界」、蜂飼耳の「食うものは食われる夜」、杉本真維子の「拍手」、小笠原鳥類の「(私は絵を描いていただけだ。/船遠隔操作の時間差爆弾を仕掛けていたのではない)」、そして野村喜和夫さんの蜂飼耳評、小笠原鳥類評、杉本真維子評でした(敬称略)。





食うものは食われる夜

    蜂飼耳



音たてちゃ いけない 今夜は

もの音たてちゃ いけない

背をあわせ うつろの胴は長くして

横たわる 濡れた眼玉に

すがた映し合い寝たりは しない

背をあわせ 川音高く 聞き耳たてる

しない夜はなにも させもしない夜で

音たてちゃ いけない 今宵は

もの音たてちゃ いけない

燃え落ちる魂つぎつぎとななめに光り

液体の法則にどこまでも抗い 呼んで

鱗 はげ落ち 岩肌 はりつき

川底から伸びあがるもの根こそぎ抜かれ

抜かれたものたち 押し流されて

小石の身震い 影の後追い 鰓呼吸

あかあかと のぼるかれらに

沈黙の判例を 迷わず捧げ

声を忍んで 月に刺されて

くるまれている夜着のうち

  これを聴いたらしんでしまう

  これってなあに

  おおすけ こすけ いまのぼる


忘れはしない のぼってくる

呼吸を合わせ川床すりつつ上ってくる

みずのにおいは鱗の奈落へ染み渡り

内側から叩きのめすそのとき

中心に移ってくるひとつの考え

足を取るあおじろい回遊すべては

今宵のため むすばれてきたと

川瀬に寄せられ 息 できない

しらないひとに のしかかられて

言おうとする下にも 知らないひと

いうことが あるんだけれども

飲みこむしかなく 集めない鰓に

遠ざけられ 殖えていく

満たされたのち 消えていく

積まれる仕草は いつか寝耳に

そそぎこまれたものに 近い

鱗におおわれた音におおわれ

川明かり 余すところなく飲みくだし

河原と 人の家 押し包む


  これ聴いたらしんでしまう

  これって なに

  おおすけ こすけ いま とおる

  音たてちゃ いけない 今夜は

  もの音たてちゃ

  いけない






拍手

杉本真維子



背骨の、したのほうに、小さな、拍手がある

装置でも、偶然の、産物でもなくて

ある朝方、それをみつけて

スイッチを押したようだが、記憶はなかった、

博士の指示にしたがい

朝と夜だけ、多くても一日二回まで

という決まりだけは守った


すると目は空をうつしきれず

大空が目をうつし

ひろびろとした視野、というものが、

「むかし」への取材を放棄する

「いいことばかりじゃなかったです、とてもとても

あなた、かってなことばかり言って

過去、なんて、その程度のものなのですよ」


わたしではない口が

不満気に、でも、きっぱりと、言い放った

まばらな拍手はぐねぐねと体内をめぐり

私語をやめ

硬い岩となって野原でめざめる


あなたのつごう、あなたのはんだん、

あなたの、滲む血のかたちは、


ぜんぶ、その身体に、とじこめてあると

博士は言った

きっと誰にも褒められなくてよい

そのちいさく何よりも華やかな拍手のために、

ひとはふっくらと一人である



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# by hannah5 | 2018-04-11 22:05 | 詩のイベント | Comments(0)

びーぐる38号に「喜和堂」4号が紹介されました   


少し前になりますが、びーぐる38号に詩誌「喜和堂」4号が紹介されました。「詩誌時評」で松本秀文さんが次のように書いてくださっています。


 「最後に、取り上げるのは「喜和堂」
4号である。野村喜和夫さんを中心に編まれたアンソロジー形式の詩誌である。名前を始めて知る書き手とベテランの書き手が同じ土俵の上で作品を提示している点と連詩や企画詩など行動量の多い誌面に終始圧倒される。野村さんはあとがきで「ポエジーとは出口であり入口であるのでしょう。裏の言葉――そんなものあるかどうか知りませんが――を失って精神の深い闇をさまようことになる入口でもあり、またそこから真の言葉――そんなものあるかどうか知りませんが――の方に出てゆく可能性を見出すための出口でもあるのでしょう」と書かれている。

 詩も他の表現分野と同じく、最低限の基礎は必要だろう。だが、「自由詩」はその定義やが概念がおそろしく曖昧であり、そのため基礎をどこに置いていいのか分からない。前回は、それについて「現代詩のジレンマ」という言葉で書いた。今回は、「批評のジレンマ」ということを考えながら送られてきた詩誌と向き合ったように思う。野村さんの「真の言葉(仮)」というものにぶつかることが、詩作品を読む者にとっては最も強烈なインパクトになるのかもしれない。」


手前味噌ですが、詩誌「喜和堂」は優れた書き手が揃っていて参加していて楽しいです。たぶん
Tokyoポエケットか文学フリマに出品されると思いますので、お手に取ってみていただけたらと思います。


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# by hannah5 | 2018-04-08 21:59 | 投稿・同人誌など | Comments(0)