カテゴリ:詩のイベント( 247 )   

「日本の詩を読む/世界の詩を読む」第5期-「愛の詩の12ケ月」第1回   


野村喜和夫さんの現代詩講座の第
5期が始まりました(10/21開始)。今回は世界中の詩人の愛を詠った詩を中心に講義が進められます。ゲーテやボードレール、有名なもの、古典的なものを避け、20世紀以降の詩人に限定されています。また、期末には「私の愛の詩のコンピレーション、アルバム」として、受講生は自分の愛誦する愛の詩、自作の愛の詩などから朗読コンピレーションアルバムの課題を提出しなければなりません。これはちょっと楽しみです。



【愛の詩の12ケ月・講座予定】


1

1月 エミリー・ディキンソン、ポール・エリュアール

2月 清岡卓行、ポリス・パステルナーク

3月 黒田三郎、金子光晴


2

4月 北島、大岡信

5月 川田絢音、朝吹亮二

6月 安東次男、吉岡実


3

7月 ジュゼッペ・ウンガレッティ、川口晴美

8月 岡田隆彦、アンドレ・ブルトン

9月 ジョン・アッシュベリー、シャルル・ボードレール


4

10月 白石かずこ、T. S. エリオット

11月 イヴ・ボンヌフォワ、パウル・ツェラン

12月 オクタビオ・パス、草野心平



*****



盛り沢山の内容だったため、3月の黒田三郎と金子光晴は講義をする時間がなくなり、結局2月のポリス・パステルナークまででした。



(大地は一個のオレンジのように青い)


       ポール・エリュアール



大地はオレンジのように青い

間違いなものか 言葉に嘘はない

言葉はもう歌わせてはくれない

こんどは接吻が睦みあう番だ

狂人たちと愛

彼女 その盟約の口

すべての秘密すべての微笑

それもなんという寛容のころもだろう

彼女を全裸と思わせるほど。

雀蜂が緑に花ひらく


夜明けはうなじのまわりに

窓の首飾をかける

翼が葉を蔽う

きみにはあらゆる太陽の悦びが

地上のすべての太陽がある

きみの美しさの道筋に。


   (田中淳一訳)




あのひとはわたしに触れた・・・・・


       エミリー・ディキンスン



あのひとはわたしに触れた、それでわたしは生きて知る

あのように許された日を、

あのひとの胸に探ったことを――

それはわたしにとって無限の場所

そしてしいんと静まりかえっていた、恐ろしい海が

多くの小さな流れを休めるように。


そしていま、わたしは前とすっかり違っている、

まるで高貴な空気を吸ったように――

あるいは王冠に一寸さわったように――

あのように彷徨うていたわたしの足も――

わたしのジプシーのような顔も――いまは変貌している――

もっと優しい光栄に。


この港に、もしわたしが入れるならば、

エルサレムに来たリベカだって、

これほど恍惚とした顔にならないだろう――

社に驚きぬかずくペリシャ人だって

荘厳な太陽神に向って

このように烈しく打たれた面を上げることはないだろう。


   (安藤一郎訳)


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by hannah5 | 2018-11-11 20:40 | 詩のイベント | Comments(0)

「日本の詩を読む/世界の詩を読む」第4期-「日本におけるランボー」第3回、第4回   


野村喜和夫さんが講義される「日本におけるランボー」の第
3回は「モダニズムと戦後のランボー受容」(7/22)、そして第4回は「私のランボー体験」でした(8/26)。3回目の講義では、戦後日本でランボーがどのように受容されていったか、ランボーの作品を翻訳した中原中也や小林秀雄に焦点を当て、その他ランボーを翻訳した人たちの訳の違いなどを比較しました。読んだ作品は西脇順三郎の評論「日光菩薩ランボー」、瀧口修造の「詩と実在」(部分)、粟津則雄訳のランボーの「コントCONTE」、清岡卓行の「最後のフーガ」、渋沢孝輔の「越冬賦」、鈴村和成訳のランボーの「酔いどれボート」(部分)でした。


4
回目の「私のランボー体験」では野村さんがどのようにランボーと関わってこられたかを中心に講義が進められました。「あらゆるテクストは先行するテクストの書き換えである」というジュリア・クリステヴァの言葉を引用し、野村さんの詩に反映されたランボーの詩を読みながら、最終講義は野村ワールドが炸裂した感じでした。(副題は「ランボーとのわがテクスト間交流―本歌取り? 換骨奪胎? 脱構築?」。)読んだ作品は「シャルルヴィル発歯痛」、「アダージェット、暗澹と」、「そこ、緑に蔽われた窪地」、「スペクタクルあるいは波」、「この世の果てあるいは希望」でした。



スペクタクルあるいは波

        野村喜和夫

   
   不眠の夜の海は、アメリーの乳房のよう。

        ――アルチュール・ランボー

   海にゐるのは、

   あれは人魚ではないのです。

   海にゐるのは、

   あれは、波ばかり。

        ――中原中也



わたくしの果ての世の月明かりの

液晶の海に

ちらちら

みえているのは

あれは人魚でも波でもなく

眠れない女たち


人のうち

どこまでもやわらかく

重たげな肉をうねらせ分泌にみち

眠れない

とりわけ眠れない女たち


おおたえまなく寝返りをうつ女たち眠れない眠れない

するとたとえようもなく

うなじの明るみ

針を刺すと

ぞろぞろと白い虫たちがあふれ出すような

その照り映え

その照り映え

その照り映え


捕獲の網を手に

誰だわたくしは

夏の日の少年でもあるまいし

ただこんなにも睾丸が

睾丸だけが

卵黄のように垂れた月をまねて重い


そのあいだにも

眠れない女たちのすさまじいパーティだパーティ


ひとりが

パンプスをはいたままベッドを飛び越え

蹴り上げる昼の鬱屈の隣で

べつのひとりが

ベッドをたてて

くるくるとまわしはじめる

ワルツもうどうしようもなくワルツその照り映えその照り映え


わたくしの果ての世の月明かりの

液晶の海に

ちらちら

みえているのはあれは人魚でも波でもなく

眠れない女たち


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by hannah5 | 2018-08-29 21:25 | 詩のイベント | Comments(0)

野川朗読会9   


71日(日)野川朗読会が行われました(於成城ホール集会室)。9回目となる今回の野川朗読会のひとことテーマは「私の立ち入り禁止地区」で、参加者がそれぞれの立ち入り禁止地区を述べ、聴衆がそれに対して「そうか!」と相槌を打つというもの。立ち入り禁止地区は実際の場所であったり精神的なものであったり、それぞれが持つ立ち入り禁止地区を述べました。



【一部】

朗読 伊藤浩子、生野毅、渡辺めぐみ、北爪満喜、そらしといろ、杉本真維子

対談 長野まゆみx田野倉康一xそらしといろ


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杉本真維子さん



【二部】


朗読 長野まゆみ、田野倉康一、樋口良澄、相沢正一郎、野村喜和夫、一色真理、岡島弘子


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長野まゆみさん




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野村喜和夫さん




司会 一色真理

(敬称略)


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by hannah5 | 2018-07-29 22:50 | 詩のイベント | Comments(0)

「日本の詩を読む/世界の詩を読む」第4期-「日本におけるランボー」第1回、第2回   


野村喜和夫さんの現代詩講座第
4期はフランスの詩人ランボーがどのように日本の詩人に影響を与えたか、「日本におけるランボー」と題し、4回にわたって講義が行われます(場所はエルスール・カフェ)。


【講義予定】

1回 5/13(日) 小林秀雄のランボー

2回 6/24(日) 富永太郎・中原中也のランボー

3回 7/22(日) モダニズムと戦後のランボー受容

4回 8/26(日) 私のランボー体験


1回目は日本でもっとも早くランボーの影響を受けた小林秀雄について、小林秀雄を通してランボーが日本の文学者たちにどのように広がっていったかが講義されました(5/13)。読んだ作品は小林秀雄のランボー論「ランボオⅢ」(一部)と訳詩「別れ」、粟津則雄訳の「母音」と「Omegaの瞳」でした。

2回目はボードレールやヴェルレーヌの影響を受けた富永太郎や中原中也がランボーに出会い、その後彼らの文学活動がどのように広っていったかなどについて講義されました(6/24)。読んだ作品は「遺産分配書」(中也訳)、「バーゲン」(鈴村和成訳)、「献身」(鈴村訳)、leBateau ivre の小林秀雄訳と中原中也訳と金子光晴訳の比較(いずれも部分)、O saisons, o chateaux で始まる無題の詩の中原中也訳と小林秀雄訳の比較などでした。

講義はランボーの訳詩の内容にとどまらず、詩を訳した詩人や文学者たちの人間関係、文学活動などさまざまな角度からアプローチし、深みのあるものになりました。




Le Bateau ivreより

          Arthur Rimbaud


Où, teignant tout à coup lesbleuités, délires
Et rythmes lents sous les rutilements du jour,
Plus fortes que l'alcool, plus vastes que nos lyres,
Fermentent les rousseurs amères de l'amour !


Je sais les cieux crevant enéclairs, et les trombes
Et les ressacs et les courants : Je sais le soir,
L'aube exaltée ainsi qu'un peuple de colombes,
Et j'ai vu quelque fois ce que l'homme a cru voir !




見よ、その蒼き色、忽然として色を染め、

金紅色の日の(もと)に、われを忘れ揺蕩(たゆたひ)は、

酒精(あるこおる)よりもなほ強く、(なれ)()(いる)も歌ひえぬ。

愛執の苦がき(あか)(あざ)を醸すなり。


われは知る、稲妻に裂かるゝ空を、龍巻を、

また寄せ返す波頭(なみ)、走る潮流(みづ)(ゆふべ)送れば、

曙光(あけぼの)は、むれ立つ鳩かと湧きたちて、

時に、この眼の視しものを、他人(ひと)は夢かと惑ふらむ。

            (小林秀雄訳)




其処に忽ち
蒼然(あをーい)(いろ)は染め出され、おどろしく

またゆるゆると陽のかぎろひのその(もと)を、

アルコールよりもなほ強く、竪琴よりも渺茫(べうぼう)と、

愛執のにがい茶色も漂つた!


私は知つてゐる稲妻に裂かれる空を龍巻を

打返す浪を潮流を。私は夕べを知つてゐる、

群れ立つ鳩にのぼせたやうな曙光(あけぼの)を、

又人々が見たやうな氣のするものを現に見た。

            (中原中也訳)



蒼茫たる海上は、見てゐるうちに、

アルコールよりも強烈に、竪琴の音よりもおほらかに、金紅色に染め出され、

その拍節と、熱狂とが、

愛執のにがい焦色をかもし出す。

僕は知つた。引つ裂かれた稲妻の天を、龍巻を。

よせ返す波と、走る射水(いみづ)を。

夕暮れを、また、靑鳩の群のやうに胸ふくらませる曙を。

時にはまた、あるとは信じられないものを、この眼が見た。

            (金子光晴訳)



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by hannah5 | 2018-06-30 13:58 | 詩のイベント | Comments(0)

「日本の詩を読む/世界の詩を読む」第3期-「日本現代詩アンソロジー 1990-2015 を編む試み」第4回   


4
回目の講義は「新鋭たち」と題して、2000年代になって登場した若い詩人たちが取り上げられました(422日)。これまで取り上げられた詩人たちとはまったく異なる言語感覚と表現方法を持つこの新しい詩人たちの作品は、取っつきにくさやわかりにくさはあるものの、教室の参加者たちには好意をもって受け取られました。取り上げられた詩人と作品は岸田将幸の「ゼリー、ゼリー」、中尾太一の「a viaduct」(一部)、三角みづ紀の「私達はきっと幸福なのだろう」、岡本啓の「コンフュージョン・イズ・ネクスト」、暁方ミセイの「呼吸が丘 二〇〇九年五月十四日」、最果タヒの「2013年生まれ」、文月悠光の「適切な世界の適切ならざる私」でした。






呼吸が丘 二〇〇九年五月十四日


       暁方ミセイ



緑色地帯から

発光している

しがつの霊感の、稀薄な呼気だけを肺胞いっぱいに詰めて

そのまま一生沈黙したい

水の気配として震えがおしえる、ごくわずかな青い朝に、

くちびるを押し開く時はもう

わたしは世界よりも大きくふやけあがっていて

飲み込むことで

見ることへと、消えてしまいたい

あらゆる怒声や歓喜や眼差し、腕や足の、赤いものたちが

渾身で打ち寄せる壁には

粉砕されて散り散りになる いっしゅんの呼吸が

繰り返されているだろう、

そしていつも世界が次へと運ぶだろう

朝へと 朝へ


静かになるためには、眼差しを一枚ずつ重ねていった

おもたい青空の、見える一層一層から

そこに薄くのびている空気が動く、光の稜線としてわかる

貫く紅色スペクター

もっとも

空に近い臓器の、血管が、

伸び、広がり、充実していく

赤血球で豊かになる世界に

馬や鹿のうつくしいみどりの眼もあった

あるいは腐葉土の中の虫たちも

それら組織液の中に取り込まれ、ゆっくりと回転させながら、

野をこえ、山をいだき、

血液はどこまでも

そのひとつひとつが眼差しとなって拡散していく

眠気で目覚めはじめる色彩のような

身体のいちばん奥にある

やわらかな結合を一本ずつ

ほどいていくと

おもたい細胞のひとつひとつが水気を思い返し

いまやどこまでもひとつずつとなって

風景を再び

構成するだろう







コンフュージョン・イズ・ネクスト


       岡本啓



肩のあまったシャツ

もたれかけた指をはなすと

頬にニュースのかたい光があたった

あっおれだ、いま

映った、いちばん手前だ ほらあいつ、ほら

いま煉瓦を投げつける


きみは興奮しながらスープの豆を口に運ぶ

母親がひたしたスープ

煙がくるなか、担架を 肌のちがう二人が持ちあげて

走りさる


こんなちいさなふやけた芯が 四肢を一日燃やすのか

舌で こうやって

怒りの殻を 剥ぎとってくと

一粒のおののく歌もおれにはない

おれは恥ずかしい、いまも

ショーウィンドーを どうしようもなく

たたき潰したい

こんなこと、あっていいのか

ヨウナシ、においはしない

拳に似た、輪郭ののか なにもない


ちがう

ぼくが言う くだけちったガラス

あらゆるものが萎れるんだ

ほんとうに宇宙は

なにもない

一人の女から産まれて

ここにいる それじたいが 暴動だ







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by hannah5 | 2018-05-11 22:54 | 詩のイベント | Comments(0)

「日本の詩を読む/世界の詩を読む」第3期-「日本現代詩アンソロジー 1990-2015 を編む試み」第3回   


3
回目の講義は「ゼロ年代詩へ」と題して、川口晴美、和合亮一、蜂飼耳、杉本真維子、小笠原鳥類が取り上げられました(3/25)。講義に参加している人たちの多くは年代が高いせいもあってかこの詩人たちの作品を読んだことがなく(名前すら知らない人が多かったです)、しかし彼らの作品は斬新な響きをもって受け入れられました。難解だ、わからない、といった意見もありましたが、総じて好意的に受け取られたようです。もっとも人気があったのは杉本真維子さんの作品、そしてわかりにくいだろうと思われた小笠原鳥類さんの作品は案外理解されたり、気に入られたりしました。それぞれの詩人が持つ特異性の背後にあるリアリテイは私たちの日常と密接につながっていることが多く、そこから独自の世界を広げながら発信しているそれぞれの作品は、読み手の私たちに詩を読むことの楽しさを伝えてくれました。読んだ作品は川口晴美の「ファントム・リム」、和合亮一の「世界」、蜂飼耳の「食うものは食われる夜」、杉本真維子の「拍手」、小笠原鳥類の「(私は絵を描いていただけだ。/船遠隔操作の時間差爆弾を仕掛けていたのではない)」、そして野村喜和夫さんの蜂飼耳評、小笠原鳥類評、杉本真維子評でした(敬称略)。





食うものは食われる夜

    蜂飼耳



音たてちゃ いけない 今夜は

もの音たてちゃ いけない

背をあわせ うつろの胴は長くして

横たわる 濡れた眼玉に

すがた映し合い寝たりは しない

背をあわせ 川音高く 聞き耳たてる

しない夜はなにも させもしない夜で

音たてちゃ いけない 今宵は

もの音たてちゃ いけない

燃え落ちる魂つぎつぎとななめに光り

液体の法則にどこまでも抗い 呼んで

鱗 はげ落ち 岩肌 はりつき

川底から伸びあがるもの根こそぎ抜かれ

抜かれたものたち 押し流されて

小石の身震い 影の後追い 鰓呼吸

あかあかと のぼるかれらに

沈黙の判例を 迷わず捧げ

声を忍んで 月に刺されて

くるまれている夜着のうち

  これを聴いたらしんでしまう

  これってなあに

  おおすけ こすけ いまのぼる


忘れはしない のぼってくる

呼吸を合わせ川床すりつつ上ってくる

みずのにおいは鱗の奈落へ染み渡り

内側から叩きのめすそのとき

中心に移ってくるひとつの考え

足を取るあおじろい回遊すべては

今宵のため むすばれてきたと

川瀬に寄せられ 息 できない

しらないひとに のしかかられて

言おうとする下にも 知らないひと

いうことが あるんだけれども

飲みこむしかなく 集めない鰓に

遠ざけられ 殖えていく

満たされたのち 消えていく

積まれる仕草は いつか寝耳に

そそぎこまれたものに 近い

鱗におおわれた音におおわれ

川明かり 余すところなく飲みくだし

河原と 人の家 押し包む


  これ聴いたらしんでしまう

  これって なに

  おおすけ こすけ いま とおる

  音たてちゃ いけない 今夜は

  もの音たてちゃ

  いけない






拍手

杉本真維子



背骨の、したのほうに、小さな、拍手がある

装置でも、偶然の、産物でもなくて

ある朝方、それをみつけて

スイッチを押したようだが、記憶はなかった、

博士の指示にしたがい

朝と夜だけ、多くても一日二回まで

という決まりだけは守った


すると目は空をうつしきれず

大空が目をうつし

ひろびろとした視野、というものが、

「むかし」への取材を放棄する

「いいことばかりじゃなかったです、とてもとても

あなた、かってなことばかり言って

過去、なんて、その程度のものなのですよ」


わたしではない口が

不満気に、でも、きっぱりと、言い放った

まばらな拍手はぐねぐねと体内をめぐり

私語をやめ

硬い岩となって野原でめざめる


あなたのつごう、あなたのはんだん、

あなたの、滲む血のかたちは、


ぜんぶ、その身体に、とじこめてあると

博士は言った

きっと誰にも褒められなくてよい

そのちいさく何よりも華やかな拍手のために、

ひとはふっくらと一人である



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by hannah5 | 2018-04-11 22:05 | 詩のイベント | Comments(0)

詩の朗読会   


喜和堂の有志による初めての朗読会を行います。

私以外は皆さん朗読の経験者ばかりです。

私はこれで2回目です。

(初めて朗読したのは新井豊美さんの追悼朗読会の時でした。)

お時間のある方、お越しいただければ嬉しいです。



喜・舞・音 ―第0回喜和堂朗読会―

http://pact-kiten.org/archives/628


日程  
2018324日(土)

開場  1830分 開演 19

会場  アートスペース.kiten http://pact-kiten.org/

135-0016江東区東陽4-7-10 東陽町ハイホームA121
入場料  2,000


朗読
|野村喜和夫、森川雅美、渡辺めぐみ、はんな、芦田みのり、山口勲、川津望

演奏|加納伊都、KOYU(コウユウ)

舞踏|武智博美


インスタレーション/照明/演出
|月読彦

企画|川津望

企画協力|山口勲

監修|喜和堂




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by hannah5 | 2018-03-10 20:45 | 詩のイベント | Comments(0)

「日本の詩を読む/世界の詩を読む」第3期-「日本現代詩アンソロジー 1990-2015 を編む試み」第2回   


「日本現代詩アンソロジー 
1990-2015を編む試み」第2回は「ポスト戦後詩の展開」と題し、稲川方人、野村喜和夫、小池昌代、城戸朱里、高貝弘也が取り上げられました(2/25)。今回取り上げられた詩人たちは私が現代詩を読み始めた時に出会った詩人たちで(稲川さんを除く)、それは前回取り上げられたベテラン詩人たちや次回のゼロ年代の詩人たち、さらに最終回で講義される新鋭の詩人たち以上に強い影響を受けた詩人たちです。そのためか、今回の講義は一人一人の人となりが思い出されて、楽しく講義を聴くことができました。読んだ作品は『二〇〇〇光年のコノテーション』(稲川方人)から一部、「(そしてぼくはきみを抱いて)」(野村喜和夫)、『街の衣のいちまい下の虹は蛇だ』(野村喜和夫)から一部、「秋の平安」(城戸朱里)、「鳥の聲」「はほう」「穂の間に、」「死なないように」(いずれも高貝弘也)、「Penis from Heaven」(小池昌代)でした。(講師は野村喜和夫さん、詩とダンスのミュージアムにて)




Penis from Heaven


     小池昌代


大きく広げた男の股の中心に

女がおずおずと手を触れる

男は大きくて

頭の髪の毛がはげかかっている

女は分裂症

美しい魂の持ち主で


「どうしてここまで男をさけられた?」

と男に尋ねられるような女である

初夜のベッドで、


(ほら、見てみな)

(さわってみな)


そんなことを

ことばに出さないのに

やさしい男が思っていて

自分の一物と女とを

見比べるところ、よかったなあ

映画のはなしだ

あんな美しい場面はないと思う


あんなやさしい場面はない

ある日

つらいことがあり

気持ちのふさぐ日

なんということはなく

とても自然なうごきで

私のなかに

あのシーンがよみがえってきたことがあった


(ほら、見てみな)

(さわってみな)


そのとき

女の手がのびるかわりに

私のなかから手がのびて

なにかとてもあたたかいものに指が触れた

ほの暗く

どの場所よりも深い、人間の股

その股を

あんなふうに押し広げられる男とは

いったい、どういう人間なのか

映画のなかの

人間の経験は

そのとき

私のなかでよみがえり

おしつぶされた私を

そのまんなかからあたためてくれた


「(自分との)結婚で、(彼女は)なにもかも花開いたと思わないか?」


私のなかからそっと伸びた手

そして

あたたかい陰茎に触れた触感のイメージ

これら、恩寵のようなやさしさは

いったいどこからやってきたのか


たとえば

春、雪の下からふいにあらわれる

ふてぶてしい、黒土のような

たとえば

沸かしたての、あたらしい湯のような

けれど

どんな比喩も届かない

あれこそは

生の芯

そのものだった






(そしてぼくはきみを抱いて)


     野村喜和夫


そしてぼくはきみを抱いて ひと夏が締めくくられた

恵みの夜の郊外から また始まる都市の日常へと

車で帰路を急いでいたら 丘の向こうで

花火の打ち上がるのがみえた


もしきみが助手席にいたら 歓声をあげただろう

ぼくはハンドルをにぎっていたので 愛する大地

愛する大地 そこから届けられる火の花束を

視野の片隅に認めていただけ


でも十分だった 今年の花火の向こうに

去年の花火がみえ そのまた向こうに

おととしの花火がみえていた


のにちがいなく 空の奥で

いくつもの夏の終わりが連なって

夜の喉のようにすぼまり それが永遠




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by hannah5 | 2018-03-09 13:28 | 詩のイベント | Comments(0)

「日本の詩を読む/世界の詩を読む」第3期-「日本現代詩アンソロジー 1990-2015 を編む試み」第1回   


「日本の詩を読む/世界の詩を読む」第3期が始まりました。今回も全部で4回の講義で、毎月第4日曜日に行われます。1回目は「ベテラン詩人たちの仕事」と題し、谷川俊太郎、吉増剛造、藤井貞和、荒川洋治、井坂洋子が取り上げられました。1990年以降の詩をそれぞれの詩人から1篇ずつ取り上げ、簡単な説明を加えていきましたが、コンパクトながら中身の濃い講義になりました。5人のベテランの詩人たちが衰えるどころか現在も旺盛な詩作を行っているのを知るにつけ、彼らの詩に対する熱い思いが伝わってきて、講義は大変面白かったです。やっぱり詩は面白い―つくづくそう思いました。


読んだ作品は谷川俊太郎「鷹繋山」、吉増剛造「光の落葉」、藤井貞和「鹿(のうた……」、荒川洋治「渡世」、井坂洋子「返歌 永訣の朝」でした。


尚、第
23回目の講義は出席はしましたが、私自身がかなり多忙になってしまい、詩織に記録を残すことができませんでした。講義はボードレールとパリという都市との関わりについてでした。(「「街々」幻想の都市を生きる」)




鷹繋山


    谷川俊太郎


からだの中を血液のように流つづける言葉を行わけにしようとすると

言葉が身を固くするのが分かる

ぼくの心に触れられるのを言葉はいやがっているみたいだ


窓を開けると六十年来見慣れた山が見える

稜線に午後の陽があたっている

鷹繋という名をもっているがそれをタカツナギと呼ぼうと

ヨウケイザンと呼ぼうと山は身じろぎひとつしない


だが言葉のほうは居心地が悪そうだ

それはぼくがその山のことを何も知らないから

そこで霧にまかれたこともなくそこで蛇に噛まれたこともない

ただ眺めているだけで


憎んでいると思ったこともない代わりに

言葉を好きだと思ったこともない

恥ずかしさの余り総毛立つ言葉があるし

透き通って言葉であることを忘れさせる言葉がある

そしてまた考え抜かれた言葉がジェノサイドに終わることもある


ぼくらの見栄が言葉を化粧する

言葉の素顔を見たい

そのアルカイック・スマイルを






返歌 永訣の朝


    井坂洋子


その朝

わたしは修羅に着いた

林の近くの家

ひと口みぞれを飲んだ

ゆきを頼んだ

これは覚えている


なぜ来たのか

したしい者に会いに

これも覚えている

朝がわたしを招き入れたのだ

朝のぬけがらはたくさんあって

思いを深く耕した跡

じらじらと乱を踏みつけるように

人々が

枕もとにいた


顔を両手で覆って

なげく

所作

透んだ林の底から湧き起こってくる

白い鳥の声


睡りはいつしか

わたしに重みを垂れ

穂を垂れて実る一本の祝儀

睡りのなかで示唆をうけた

(しろい山々のしろい山

 は

 わたしの墓石

 しろいだけの形)


みぞれによって土潤い

潤いすぎて

みだらになる

こころの容体がわるくなる

だから けんじゃよ

嘆いてはいけない







講義予定
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by hannah5 | 2018-02-01 21:44 | 詩のイベント | Comments(0)

「日本の詩を読む/世界の詩を読む」第2期-「ランボー『イリュミナシオン』への招待」第2回   


2
回目のランボーの講義は「「あけぼの」-宇宙とのエロス的合一を求めて」と題し、ランボーにとっての自然、宇宙、エロス、生などを中心に講義が進められました(10/22)。また、宮澤賢治における「宇宙的合一」にも言及し、ランボーと宮澤賢治を比較した上で両者の類似性と非類似性を見ました。読んだ作品はランボーの「感覚」(Sensation)(粟津則雄訳)、「あけぼの」(Aube)(鈴村和成訳)、宮澤賢治の詩「その恐ろしい黒雲が」、野村さんの『哲学の骨、詩の肉』からランボーについて述べた部分(p.122-125)でした。


あけぼの

 俺は夏のあけのぼを抱きしめた。

 宮殿の正面ではまだ何も動いていなかった。水は死んでいた。影の野営地は森の道を離れていなかった。俺は歩いた、――生き生きと生暖かい息吹をめざめさせながら。すると宝石類は目を見ひらき、翼は音もなく起き上がった。

 最初に起こったこと、それはすでに爽やかな蒼白い燦きに充たされた小道で、花が俺にその名をつげたことだ。

 俺がブロンドの(ワッサーファル)ってと、そい銀色女神

 そこで俺は一枚ずつヴェールをとっていった。並木道では、腕を振りまわして。野原を通り、俺は彼女は雄鶏にいいつけてやった。大都市では彼女は鐘楼とドームの間を逃げて行った。大理石の河岸を乞食のように駆けて、俺は彼女を追った。

 道を登りつめたところ、月桂樹の森の近くで、俺は彼女をかき集めたヴェールに包んだ。そして俺はわずかに彼女のおおきな体を感じた。あけぼのと子供は森の下方に落ちて行った。

 めざめると正午だった。

(鈴村和成訳)


Aube

J'aiembrassé l'aube d'été.

Rien ne bougeait encore au front des palais. L'eau était morte. Les campsd'ombres ne quittaient pas la route du bois. J'ai marché, réveillant leshaleines vives et tièdes, et les pierreries regardèrent, et les ailes selevèrent sans bruit.

La première entreprise fut, dans le sentier déjà empli de frais et blêmeséclats, une fleur qui me dit son nom.

Je ris au wasserfall blond qui s'échevela à travers les sapins : à la cimeargentée je reconnus la déesse.

Alors je levai un à un les voiles. Dans l'allée, en agitant les bras. Par laplaine, où je l'ai dénoncée au coq. À la grand'ville elle fuyait parmi lesclochers et les dômes, et courant comme un mendiant sur les quais de marbre, jela chassais.

En haut de la route, près d'un bois de lauriers, je l'ai entourée avec sesvoiles amassés, et j'ai senti un peu son immense corps. L'aube et l'enfanttombèrent au bas du bois.

Au réveil il était midi.



感覚

青い夏の夕暮には、小道伝いに、

麦にちくちく刺されながら細い草を踏みにゆくんだ、

夢みながら、ひんやりとしたその冷たさを足もとに感じるんだ、

帽子もかぶらぬこの頭を吹く風に浸しておくんだ。

もう何もしゃべらない、もう何も考えない、

ただ限りない愛だけが魂に湧いてくるんだ、

ぼくは行くんだ、うんと遠くへ、ジプシーみたいに、

自然のなかを、――心楽しく、まるで女といっしょのように。

(粟津則雄訳)


Sensation

Par les soirs bleus d'été, j'irai dans lessentiers,

Picoté par les blés, fouler l'herbe menue:

Rêveur, j'en sentirai la fraîcheur à mes pieds.

Je laisserai le vent baigner ma tête nue.

Je ne parlerai pas, je ne penserai rien:

Mais l'amour infini me montera dans l'âme,

Et j'irai loin, bien loin, comme un bohémien,

Par la nature, heureux comme avec une femme.




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by hannah5 | 2017-11-04 06:56 | 詩のイベント | Comments(0)