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譚詩舎文学サロン「立原道造・萩原朔太郎 詩の時代性」   


12月22日(土)、「立原道造・萩原朔太郎 詩の時代性」と題して野村喜和夫さんの講演会が行われました(詩の文庫・譚詩舎主催)(於日本近代文学館)。

「萩原朔太郎と立原道造には、28歳の開きがあります。それでも、同じ時代の空気の中に生き、詩誌「四季」の中で同時期に作品を発表していたことに変わりがありません。立原は朔太郎を尊敬し、萩原は立原の詩文に賞賛を送っていましたが、立原道造は、これまでは、同世代の中原中也、あるいは少し上の世代の宮沢賢治と比較して語られることの方が多く、朔太郎との関連で語られたことはあまりありませんでした。この2人の時代性、そして詩の現在までを、詩人野村喜和夫氏が語ります。」(講演会のチラシより)

立原道造と萩原朔太郎の接点は敢えて言うなら四季や日本浪漫派に関係していたくらいでほとんどなく、講演は2人の相違点を中心に行われました。相違点を挙げることで、道造と朔太郎の詩の特性や向かっていた方向性など、いくつかの特長が浮き彫りになりました。

野村さんの講演の後は、野村さん、立原道造を研究されている名木橋忠大さん、詩人の吉田文憲さん、布川鴇さん(司会)を交えての座談会が行われました。

若い頃立原道造が好きで(今も好きですが)、一時期のめり込んでいたこともあって、この講演会はかなり楽しめました。


【プログラム】

開会挨拶 講演者紹介
講演「立原道造 萩原朔太郎 詩の時代性」:野村喜和夫
座談会「立原道造・萩原朔太郎 その時代を巡って」 野村喜和夫、吉田文憲、名木橋忠大、布川鴇

by hannah5 | 2012-12-25 16:31 | 詩のイベント | Comments(0)

メリークリスマス   




さて、この土地に、羊飼いたちが、野宿で夜番をしながら羊の群れを見守っていた。すると、主の使いが彼らのところに来て、主の栄光が回りを照らしたので、彼らはひどく恐れた。御使いは彼らに言った。
「恐ることはありません。今、私はこの民全体のための素晴らしい喜びを知らせに来たのです。きょうダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。あなたがたは、布にくるまって飼葉おけに寝ておられるみどりごを見つけます。これが、あなたがためのしるしです。」
すると、たちまち、その御使いといっしょに、多くの天の軍勢が現れて、神を賛美して言った。
 「いと高き所に、栄光が、神にあるように。
 地の上に、平和が、
 御心にかなう人々にあるように。」
御使いたちが彼らを離れて天に帰ったとき、羊飼いたちは互いに話し合った。
「さあ、ベツレヘムに行って、主が私たちに知らせてくださったこの出来事を見て来よう。」
そして急いで行って、マリヤとヨセフと、飼葉おけに寝ておられるみどりごとを捜し当てた。それを見たとき、羊飼いたちは、この幼子について告げられたことを知らせた。
                                                  (ルカの福音書2:8-17)

by hannah5 | 2012-12-25 16:02 | イエス・キリスト | Comments(0)

詩集 『あ、』   



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詩集 『あ、』
著者 はんな
発行所 土曜美術社出版販売
定価 2,100円
12月20日発売予定
Amazon でも購入できます。



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詩集が出来たのを一番最初に喜んでくれたmy boys

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by hannah5 | 2012-12-18 15:43 | ご挨拶 | Comments(4)

「詩とアートが出逢うとき」   


新宿のギャラリー絵夢では現在、小川英晴さん企画、画家の絵と詩人の詩のコラボ展「詩とアートが出逢うとき」が展示されています(12月19日(水)まで)。このコラボ展を記念して、12月14日(金)午後6時より、朗読会が催されました。朗読の出演者はねじめ正一さん、ミズ・テツオさん、鹿又夏実さん、小川英晴さんで、朗読には佐藤達男さんのギターの即興の伴奏がつきました。

小川英晴さんの朗読を拝聴したのはこれで2回目ですが、いつもセンスがよくて、特に佐藤達男さんのギターの伴奏が雰囲気を盛り上げてなかなか素敵です。今回の朗読会は詩だけではなく、エッセイが朗読されたり、小川さんとの個人的な交流のお話を披露されたり、小川英晴さんを囲んで言葉の室内楽を聴くような感じでした。朗読会の後は朗読会に来られたたくさんの方たちとのオープニングパーテイで盛り上がりました。

【小川英晴選】
天野裕夫
有賀真澄
河原朝生
白石潔
富山恵美子
中嶋明
中上清
平澤重信
開光市
平野充
藤浪理恵子
益村千鶴
松生歩
ミズ・テツオ
ムラカズユキ
安元亮祐
山本靖久
渡辺有葵

【鹿又夏実選】
岩田泰子
加藤広貴
鶴田学
夏目麻麦
古谷一弘
細井世思子
箕輪千絵子
山本萌美
李英圭

(敬称略)

by hannah5 | 2012-12-15 13:36 | 詩のイベント | Comments(0)

日本の詩を読む VIII その4   


12月10日(月)は「日本の詩を読む」VIIIの4回目の講義でした。今回は中原中也の詩論「名辞以前」についての講義でした。名辞とは言葉のこと、すなわち言葉を覚える以前のことで、幼児期をさします。中也は言葉にならないものについても言語化することに腐心した人でした。この背景にあったのは哲学者ヴィトゲンシュタインの「語り得ぬものについては沈黙しなければならない」(『論理哲学論考』)の考え方で、中也はこれに果敢に挑戦しました。読んだ作品は『山羊の歌』から「いのちの声」、『在りし日の歌』から「言葉なき歌」と「曇天」でした。(次回の講義は宮沢賢治です。)



いのちの声

      もろもろの業、太陽のもとにては蒼ざめたるかな。
                                   ――ソロモン



僕はもうバッハにもモツアルトにも倦果てた。
あの幸福な、お調子者のヂャズにもすつかり倦果てた。
僕は雨上りの曇つた空の下の鐵橋のやうに生きてゐる。
僕に押寄せてゐるものは、何時でもそれは寂漠だ。

僕はその寂漠の中にすつかり沈静してゐるわけでもない。
僕は何かを求めてゐる、絶えず何かを求めてゐる。
恐ろしく不動の形の中にだが、また恐ろしく憔(じ)れてゐる。
そのためにははや、食慾も性慾もあつてなきが如くでさへある。

しかし、それが何かは分らない、つひぞ分つたためしはない。
それが二つあるとは思へない、ただ一つであるとは思ふ。
しかしそれが何かは分らない、つひぞ分つたためしはない。
それに行き著く一か八かの方途さへ、悉皆(すっかり)分つたためしはない。

時に自分を揶揄(からか)ふやうに、僕は自分に訊(き)いてみるのだ、
それは女か? 甘(うま)いものか? それは栄誉か?
すると心は叫ぶのだ、あれでもない、これでもない、あれでもないこれでもない!
それでは空の歌、朝、高空に、鳴響く空の歌とでもいふのであらうか?

   Ⅱ

否何(いづ)れとさへそれはいふことの出来ぬもの!
手短に、時に説明したくなるとはいふものの、
説明なぞ出来ぬものでこそあれ、我が生は生くるに値ひするものと信ずる
それよ現実! 汚れなき幸福! あらはるものはあらはるまゝによいといふこと!

人は皆、知ると知らぬとに拘(かかは)らず、そのことを希望してをり、
勝敗に心覚(さと)き程は知るによしないものであれ、
それは誰も知る、放心の快感に似て、誰もが望み
誰もがこの世にある限り、完全には望み得ないもの!

併し幸福といふものが、このやうに無私の境(さかひ)のものであり、
かの慧(けい)敏(びん)なる商人の、称して阿呆(あはう)といふでもあらう底のものとすれば、
めしをくはねば生きてゆかれぬ現身(うつしみ)の世は、
不公平なものであるよといはねばならぬ。

だが、それが此の世といふものなんで、
其処(そこ)に我等は生きてをり、それは任意の不公平ではなく、
それに因(よつ)て我等自身も構成されたる原理であれば、
然らば、この世に極端はないとて、一先づ休心するもよからう。

   Ⅲ

されば要は、熱情の問題である。
汝、心の底より立腹せば
怒れよ!

さあれ、怒ることこそ
汝(な)が最後なる目標の前にであれ、
この言(こと)ゆめゆめおろそかにする勿(なか)れ。

そは、熱情はひととき持続し、やがて熄(や)むなるに、
その社会的効果は存続し、

汝(な)が次なる行為への転調の障(さまた)げとなるなれば。

   Ⅳ

ゆふがた、空の下で、身一点に感じられれば、万事に於て文句はないのだ。

by hannah5 | 2012-12-11 15:56 | 詩のイベント | Comments(0)