<   2018年 04月 ( 2 )   > この月の画像一覧   

「日本の詩を読む/世界の詩を読む」第3期-「日本現代詩アンソロジー 1990-2015 を編む試み」第3回   


3
回目の講義は「ゼロ年代詩へ」と題して、川口晴美、和合亮一、蜂飼耳、杉本真維子、小笠原鳥類が取り上げられました(3/25)。講義に参加している人たちの多くは年代が高いせいもあってかこの詩人たちの作品を読んだことがなく(名前すら知らない人が多かったです)、しかし彼らの作品は斬新な響きをもって受け入れられました。難解だ、わからない、といった意見もありましたが、総じて好意的に受け取られたようです。もっとも人気があったのは杉本真維子さんの作品、そしてわかりにくいだろうと思われた小笠原鳥類さんの作品は案外理解されたり、気に入られたりしました。それぞれの詩人が持つ特異性の背後にあるリアリテイは私たちの日常と密接につながっていることが多く、そこから独自の世界を広げながら発信しているそれぞれの作品は、読み手の私たちに詩を読むことの楽しさを伝えてくれました。読んだ作品は川口晴美の「ファントム・リム」、和合亮一の「世界」、蜂飼耳の「食うものは食われる夜」、杉本真維子の「拍手」、小笠原鳥類の「(私は絵を描いていただけだ。/船遠隔操作の時間差爆弾を仕掛けていたのではない)」、そして野村喜和夫さんの蜂飼耳評、小笠原鳥類評、杉本真維子評でした(敬称略)。





食うものは食われる夜

    蜂飼耳



音たてちゃ いけない 今夜は

もの音たてちゃ いけない

背をあわせ うつろの胴は長くして

横たわる 濡れた眼玉に

すがた映し合い寝たりは しない

背をあわせ 川音高く 聞き耳たてる

しない夜はなにも させもしない夜で

音たてちゃ いけない 今宵は

もの音たてちゃ いけない

燃え落ちる魂つぎつぎとななめに光り

液体の法則にどこまでも抗い 呼んで

鱗 はげ落ち 岩肌 はりつき

川底から伸びあがるもの根こそぎ抜かれ

抜かれたものたち 押し流されて

小石の身震い 影の後追い 鰓呼吸

あかあかと のぼるかれらに

沈黙の判例を 迷わず捧げ

声を忍んで 月に刺されて

くるまれている夜着のうち

  これを聴いたらしんでしまう

  これってなあに

  おおすけ こすけ いまのぼる


忘れはしない のぼってくる

呼吸を合わせ川床すりつつ上ってくる

みずのにおいは鱗の奈落へ染み渡り

内側から叩きのめすそのとき

中心に移ってくるひとつの考え

足を取るあおじろい回遊すべては

今宵のため むすばれてきたと

川瀬に寄せられ 息 できない

しらないひとに のしかかられて

言おうとする下にも 知らないひと

いうことが あるんだけれども

飲みこむしかなく 集めない鰓に

遠ざけられ 殖えていく

満たされたのち 消えていく

積まれる仕草は いつか寝耳に

そそぎこまれたものに 近い

鱗におおわれた音におおわれ

川明かり 余すところなく飲みくだし

河原と 人の家 押し包む


  これ聴いたらしんでしまう

  これって なに

  おおすけ こすけ いま とおる

  音たてちゃ いけない 今夜は

  もの音たてちゃ

  いけない






拍手

杉本真維子



背骨の、したのほうに、小さな、拍手がある

装置でも、偶然の、産物でもなくて

ある朝方、それをみつけて

スイッチを押したようだが、記憶はなかった、

博士の指示にしたがい

朝と夜だけ、多くても一日二回まで

という決まりだけは守った


すると目は空をうつしきれず

大空が目をうつし

ひろびろとした視野、というものが、

「むかし」への取材を放棄する

「いいことばかりじゃなかったです、とてもとても

あなた、かってなことばかり言って

過去、なんて、その程度のものなのですよ」


わたしではない口が

不満気に、でも、きっぱりと、言い放った

まばらな拍手はぐねぐねと体内をめぐり

私語をやめ

硬い岩となって野原でめざめる


あなたのつごう、あなたのはんだん、

あなたの、滲む血のかたちは、


ぜんぶ、その身体に、とじこめてあると

博士は言った

きっと誰にも褒められなくてよい

そのちいさく何よりも華やかな拍手のために、

ひとはふっくらと一人である



.


[PR]

by hannah5 | 2018-04-11 22:05 | 詩のイベント | Comments(0)

びーぐる38号に「喜和堂」4号が紹介されました   


少し前になりますが、びーぐる38号に詩誌「喜和堂」4号が紹介されました。「詩誌時評」で松本秀文さんが次のように書いてくださっています。


 「最後に、取り上げるのは「喜和堂」
4号である。野村喜和夫さんを中心に編まれたアンソロジー形式の詩誌である。名前を始めて知る書き手とベテランの書き手が同じ土俵の上で作品を提示している点と連詩や企画詩など行動量の多い誌面に終始圧倒される。野村さんはあとがきで「ポエジーとは出口であり入口であるのでしょう。裏の言葉――そんなものあるかどうか知りませんが――を失って精神の深い闇をさまようことになる入口でもあり、またそこから真の言葉――そんなものあるかどうか知りませんが――の方に出てゆく可能性を見出すための出口でもあるのでしょう」と書かれている。

 詩も他の表現分野と同じく、最低限の基礎は必要だろう。だが、「自由詩」はその定義やが概念がおそろしく曖昧であり、そのため基礎をどこに置いていいのか分からない。前回は、それについて「現代詩のジレンマ」という言葉で書いた。今回は、「批評のジレンマ」ということを考えながら送られてきた詩誌と向き合ったように思う。野村さんの「真の言葉(仮)」というものにぶつかることが、詩作品を読む者にとっては最も強烈なインパクトになるのかもしれない。」


手前味噌ですが、詩誌「喜和堂」は優れた書き手が揃っていて参加していて楽しいです。たぶん
Tokyoポエケットか文学フリマに出品されると思いますので、お手に取ってみていただけたらと思います。


b0000924_21564563.jpg
















[PR]

by hannah5 | 2018-04-08 21:59 | 投稿・同人誌など | Comments(0)